悲劇を喜劇にかえるブログ

「心と体の健康」について医療・介護での仕事、ビジネス、自身の心と体のデトックスの経験などから情報発信していきます。

当たり前ということ

皆さん、こんばんは。『悲劇を喜劇に変えるブログ』の管理人シマダマサヒロです。

今日も、記事を発信していきますよー。

よろしくお願い致します。

 

⒈感謝をしていないとき

人に何かをしてもらったとき、「ありがとう。」という言葉を発すると思います。

 

ただ、それを言わないときってないでしょうか?

 

例えば、職場で、仕事を割り振る際に、他の人がしてくれて、それを自分のところに報告に来てくれたとき

 

「ありがとうございます。」

 

ではなく、

 

「わかりました。」

 

「了解しました。」

 

「そうですか。」

 

で終わってしまう。

 

僕は、正直あります。

 

別に、それは意図的にそうではなく、ついそうしてしまうといった感じです。

 

振り返ってみると、なんであのとき「ありがとうござます。」と言えなかったんでだろうと、思ってしまいます。

 

2.感謝の反対は当たり前

なぜ、「ありがとうございます。」と無意識に言えなかったのか?

 

それが、自分の中で腑に落ちた時がありました。

 

3ヶ月前に、友人と食事をしていたときのことです。

 

友人「嶋田さん。感謝の反対って知っていますか?」

 

僕「いや、知らないです。」

 

友人「それは『当たり前』なんですよ。」

 

これを言われたとき、僕は無意識的に「ありがとう。」と言えなかったのは、「当たり前」と心の何処かで思っていたのだなと、分かりました。

 

確かに、いつもお母さんに3度のご飯を作ってもらっているとそれが当たり前になってしまう。

 

だから、そこには、感謝の言葉がいつの間にかなくなってしまう。

 

「いただきます。」や「お御馳走様。」、「美味しかった」の言葉もなく、

下手すると「なんで、僕のきらいな◯◯を入れてんの?」と文句を言ってしまう。

 

僕からすると、ご飯を作ってくれること

 

は「当たり前」かもしれない。

 

ただ、お母さんからすると、忙しい中、時間をかけて一生懸命作ってくれた、ご飯なのです。

 

3.当たり前のことに感謝しよう

僕は、京都に来て、一人暮らしをしていますが、毎日の自炊は大変です。

 

時間の都合上、外食しなければならないこともあります。

 

そんなとき、たまに福岡の実家に帰ると、お母さんの手料理がとても美味しく感じます。

 

当たり前というのは存在するかもしれない。

 

しかし、それに時には感謝することも必要ですね。

 

感謝の反対は当たり前かもしれないけど、

 

「当たり前=感謝」とする。

 

そうすることで、毎日の生活の見方が変わると思います。

 

僕はこれを現在進行中ですが、見方を変えることで、本当に人生楽しくなっているなと実感しています。

 

毎日を当たり前と思い、感謝がなくなってしまう生活を送ることが「悲劇」であれば、

当たり前に感謝することで、楽しく生活することが「喜劇」

 

毎日、当たり前のことに感謝して生きていこう。

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本日も最後まで読んでいただきありがとうございました。