悲劇を喜劇にかえるブログ

「心と体の健康」について医療・介護での仕事、ビジネス、自身の心と体のデトックスの経験などから情報発信していきます。

ピンチを楽しむ

皆さん、こんにちは。『悲劇を喜劇に変えるブログ』の管理人シマダマサヒロです。

今日も、記事を発信していきますよー。

よろしくお願い致します。

 

1.ピンチが訪れたとき

皆さんは、どうしようもないピンチの時ってありますよね。

 

ピンチが訪れたときってどうするでしょうか?

 

「どうしよう~(´Д` )。」と思ってしまう反面、

 

「何とかしなきゃー( *`ω´)」と考えると思います。

 

しかし、僕はピンチが訪れたとき、逆にワクワクすることがあるのです。

 

これを乗り越えたら、きっと大きな達成感が得られるし、周囲の方にも貢献できて、大きな喜びを与えられる。

 

そんな風に考えてしまいます。

 

2.仕事場でのピンチ

僕は、普段、介護老人保健施設老健)で仕事をしているのですが、介護施設は基本的に人材不足と言われています。

 

その中でも、通所リハビリテーションでの送迎サービスにおいて、とくにハイースなど大きな車を運転できる人が少ないです。これは以前僕が勤めていた同じ老健でも、その問題に直面していました。

 

その影響があってか、僕は最近、ハイエースの運転を任されるようになりました。運転は今まで一度もやったこともなかったし、しかも地元ではないので、道もそこまで詳しくない状況です。

 

でも、こういった人材不足のとき、

 

「なんで僕がやらないといけないのー。」

 

と思うのではなく、

 

「これをやることで、職場に貢献することができるんだー。」

 

と思って、ワクワクしながら行動すると、

 

いつもよりも、通所リハビリの介護スタッフや管理職の方に感謝されることが多いです。

 

実際に、運転を引き受けることによって得られた成果は、

 

介護職スタッフとコミュニケーションが取りやすくなった。

 

介護職スタッフにリハビリテーションの業務のことを相談しても、引き受けてくれるようになった。

 

など、チームが以前よりも一つのベクトルに向かって連携して動いているように感じます。

 

その他、約⒊年ほど前に、地元の老健施設に勤務していた時、リハビリテーションスタッフが一人欠員だった状況で、どうにかしようと仕事を一緒にやっていた方々とは、今でも仲良く連絡を取り合っていることが多いです。

 

⒊.ピンチを楽しむ

これは、僕の想像ですが、ピンチの後は、大きな喜びが待っていると感じます。

 

まさに、ピンチは終わりではなく、

 

ピンチとチャンス捉える

 

また、ピンチを苦しい・しんどいと思わずに、

 

ピンチを楽しむ

 

以前、僕は槍ヶ岳という3000m以上ある山に登ったとき

 

頂上近くにある山荘にたどり着く直前がものすごくしんどかったのですが、

そのとき一緒に登っていた方にこう言われました。

 

「しんどいときに『しんどい』とうのは簡単、しんどいときに『楽しい』と言えることが大事だね。」と。

 

登山は、しんどいのを楽しんでいるといつの間にか頂上に辿り着いている。

 

日常生活でもピンチを楽しんでいると、いつの間にかピンチを脱している。

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そんな風に捉えると良いのかもしれません。

 

ピンチを悲観して前に進めないことが『悲劇』であれば、

ピンチを楽しんでいつの間にか辿り着いていることが『喜劇』

 

ピンチを楽しんで喜びを倍増させよう。

 

今日も最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

当たり前ということ

皆さん、こんばんは。『悲劇を喜劇に変えるブログ』の管理人シマダマサヒロです。

今日も、記事を発信していきますよー。

よろしくお願い致します。

 

⒈感謝をしていないとき

人に何かをしてもらったとき、「ありがとう。」という言葉を発すると思います。

 

ただ、それを言わないときってないでしょうか?

 

例えば、職場で、仕事を割り振る際に、他の人がしてくれて、それを自分のところに報告に来てくれたとき

 

「ありがとうございます。」

 

ではなく、

 

「わかりました。」

 

「了解しました。」

 

「そうですか。」

 

で終わってしまう。

 

僕は、正直あります。

 

別に、それは意図的にそうではなく、ついそうしてしまうといった感じです。

 

振り返ってみると、なんであのとき「ありがとうござます。」と言えなかったんでだろうと、思ってしまいます。

 

2.感謝の反対は当たり前

なぜ、「ありがとうございます。」と無意識に言えなかったのか?

 

それが、自分の中で腑に落ちた時がありました。

 

3ヶ月前に、友人と食事をしていたときのことです。

 

友人「嶋田さん。感謝の反対って知っていますか?」

 

僕「いや、知らないです。」

 

友人「それは『当たり前』なんですよ。」

 

これを言われたとき、僕は無意識的に「ありがとう。」と言えなかったのは、「当たり前」と心の何処かで思っていたのだなと、分かりました。

 

確かに、いつもお母さんに3度のご飯を作ってもらっているとそれが当たり前になってしまう。

 

だから、そこには、感謝の言葉がいつの間にかなくなってしまう。

 

「いただきます。」や「お御馳走様。」、「美味しかった」の言葉もなく、

下手すると「なんで、僕のきらいな◯◯を入れてんの?」と文句を言ってしまう。

 

僕からすると、ご飯を作ってくれること

 

は「当たり前」かもしれない。

 

ただ、お母さんからすると、忙しい中、時間をかけて一生懸命作ってくれた、ご飯なのです。

 

3.当たり前のことに感謝しよう

僕は、京都に来て、一人暮らしをしていますが、毎日の自炊は大変です。

 

時間の都合上、外食しなければならないこともあります。

 

そんなとき、たまに福岡の実家に帰ると、お母さんの手料理がとても美味しく感じます。

 

当たり前というのは存在するかもしれない。

 

しかし、それに時には感謝することも必要ですね。

 

感謝の反対は当たり前かもしれないけど、

 

「当たり前=感謝」とする。

 

そうすることで、毎日の生活の見方が変わると思います。

 

僕はこれを現在進行中ですが、見方を変えることで、本当に人生楽しくなっているなと実感しています。

 

毎日を当たり前と思い、感謝がなくなってしまう生活を送ることが「悲劇」であれば、

当たり前に感謝することで、楽しく生活することが「喜劇」

 

毎日、当たり前のことに感謝して生きていこう。

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本日も最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

待たされていると思ったときの解釈

皆さん、こんにちは。『悲劇を喜劇に変えるブログ』の管理人シマダマサヒロです。

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よろしくお願い致します。

 

1.待たされているとき

日常生活の中で、待たされていることに対して「イライラしたりする」ことってないでしょうか?

 

僕は結構あるんですね。

 

約束の時間に相手が遅れてきて、待たされているとき

 

病院の診察が長くて待たされているとき

 

電車の時間が遅れてホームで待たされているとき

 

待たされているとき、

 

早く来いよー。

 

早く俺の診察回って来いよ。

 

早く電車来いよ。

 

いつまで、待たせるのか。待ち時間を教えてくれー。

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そんな気持ちになってしまいます。

 

時間というのが、誰にでも与えられた貴重な資源とわかっているだけに、余計に落ち着かなくなってしまいます。

 

2.整骨院での出来事

僕は、月1~2回ペースで整骨院に通っているのですが、その整骨院は、県外からも訪れる人気の整骨院で、行くとだいたい1~2時間くらいかかってしまいます。整骨を受ける前に、手や機械を使ってケアを行っていくのですが、前の人がそれを受けていると、じっと座って待っていることも多いです。

 

僕はそれに対して、毎回、時計を見ながら「夕方遅いんだから、早く回って来いよ。」と思ってイライラしていました。

 

先日も、その整骨院に行ってきました。

 

いつものように待たされていたのですが、その時はあまりイライラしませんでした。

 

その時、僕は何を考えていたのか?

 

僕が待っているということは、他の人が施術を行っている時間を与えている。

つまり、僕は他人に貢献しているということだ。

 

3.貢献しているということ

待たされいることは、他人に貢献していることである。

 

それは、ちょっとお人好し過ぎではないですか?

 

確かに、そうかもしれません。

 

全てにおいて、それが当てはまるとは限らないかもしれないです。

 

ただ、待たされているとき、イライラしていてもどうしようもない。

 

相手だったり、環境だったり、状況だったり、

 

これらを変えようと思っても、変えられない。

 

そんなこと、あると思うのです。

 

そんなとき、

 

待たされている=他人に貢献している

 

これを頭に入れておくだけで、かなり落ち着くし、待っている間に、他に頭の中で何か考えたりすることもできると思うのです。

 

実際、整骨院で待たされていた時、僕はこのことを頭に入れておいたので、手帳を持って、明日の仕事のことや、今後の予定の整理をすることができました。

 

これ、もし僕がイライラしていたら、そんなこと考える余裕がなかったと思います。

 

逆に僕が他人を待たせることもあります。

 

そんなときは、その人が僕に時間を与えてくれている。

 

そのことに感謝ですね。

 

待たされているとき、自分のことだけを考えてイライラすることが「悲劇」であれば、

貢献していると解釈し、頭の中をすっきりできることが「喜劇」

 

生きていく上で、人に感謝し、貢献していこう。

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本日も最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

悪いことの後の良いこと

皆さん、こんにちは。『悲劇を喜劇に変えるブログ』の管理人シマダマサヒロです。

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1.鍵をなくしてしまった

先日、私事で大変恐縮ですが、家の鍵を紛失していまいました。ちょうどその日は、私用で大阪に行っていまして、夜遅くの電車で京都の自宅に戻ったところ、カバンや洋服の中から鍵が見つかりませんでした。

 

僕の鍵は、お守りと鈴をつけていましたので、落としたとしてもわかるものであるため、滅多に紛失することはなかったのですが、ないと分かりとてもショックでした。

 

ただそれを引きずっていても仕方ないため、取りえずその日は、お風呂に入ることと、宿を探すことだけに集中し、近くの銭湯に入って、その後、友人に連絡しました。

 

2.それからの出来事

そして、連絡した友人の一人が格安のネットカフェを探してくれたので、そこに行こうと思って、タクシーを拾って、その場所に向かいました。

 

僕は、ネットカフェに向かう道中のタクシーの中で、運転手さんと会話していました。

 

運転手 「お兄さん、今晩泊まるところないの?」

 

私 「実は、鍵をなくしてしまってですね、、、、。」

 

運転手 「それは、かわいそうやなー。」

 

その後、ネットカフェに到着し、タクシーを降りるときに、運転手さんが、タクシー代を表示されている金額から、30%ほど割引きしてくれたのです。おそらく、僕を気遣ってのことでしょう。あまり、持ち合わせがなかった僕にとっては、非常に有難い話でした。

 

本当に助かりました。

 

僕はネットカフェにて、一晩過ごすことができました。

 

そして、次の日鍵は見つかりました。職場に置きっぱなしにしてたみたいですね。

 

3.悪い事の後には良い事がある

これは、ほんの些細な出来事でしたが、悪い事が起きてしまった場合、その出来事に囚われてしまうことってないでしょうか?

 

僕は、正直あります。

 

鍵をなくしてしまったことは、僕にとって、とてもショッックな出来事

 

ただ、そのショックな出来事を引きずってしまって、

 

その後に友人がネットカフェを見つけてくれたこと

 

また、タクシーの運転手さんが、タクシー代を割引してくれたこと

 

これらを良かった事として、解釈できなかったら、非常に勿体ないなと感じます。

 

そして、僕の経験上、悪いことが起こった後、良いことが起こっている。

 

ある悪い出来事に対して、感情を過剰に持ち込んだりせずに、

 

「こういう事実があったんだ」とだけ捉えることができれば、

 

その後に起こった良い出来事に対して、

 

「やったー(^ ^)」

 

「ラッキー(^ ^)」

 

と思えることができれば、今日も1日良かったという気持ちになるかもしれません。

 

悪い出来事を引きずり、今日は最悪だったと解釈することが「悲劇」であれば、

 

悪い出来事を、単なる事実として捉え、その後の良い出来事に気付けることが「喜劇」

 

起きてしまったことにくよくよせず、切り替えて前に進もう。

 

今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

他人の時間を作る

皆さん、こんにちは。『悲劇を喜劇に変えるブログ』の管理人シマダマサヒロです。

今日も、記事を発信していきますよー。

よろしくお願い致します。

 

1.時間という貴重な資源

皆さんにとって、時間というのは、とても貴重な資源ですよね。

 

世界中の人々に、唯一平等に与えられているのは時間です。

 

1日は24時間しかありません。

 

お金は失ったら取り返せますが、時間は失ったら二度と取り返せません。

 

では、人間関係において、相手に時間を奪われたと感じたことってあるのではないでしょうか?

 

わかりやすい例で言えば、

 

相手と何処かで会う約束をしていて、何時に集合と決めているにも関わらず、相手が集合時間の30分~1時間遅れてきてしまい、かなり待たされた場合。

 

相手の書類の提出期限が遅れてしまって、書類のチェックが遅れてしまった場合。

 

待たされるというのは、時間を奪われるということに等しい。

 

僕は、そんな風に捉えてしまいます。

 

でも、相手との約束を100%きっちり守ることって、なかなか難しいですよね。

 

僕も、気をつけているつもりではありますが、知らないうちに相手の時間を奪っていることもあります。

 

特に忙しかったりすると、優先順位をつけてしまい、それが低いと思っている約束ほどそうしてしまいがちです。

 

しかし、相手の時間を奪っていることには、変わりないので、最小限に抑えないといけませんね。

 

どうしてもそうなってしまう場合、予めそのことを伝えておかなければなりませんね。

 

2.相手に時間を与える

しかし、逆に相手に時間を与えることも可能ではないかと思っています。

 

私が、整形外科クリニックに勤務していたときのエピソードです。

 

リハビリテーション室に、運動機器を導入するために、室内のレイアウトを変える作業をしていました。

 

その中で、壁に固定されていたテーブルを外すことになりました。ある日に、その作業を院長と行う予定でした。

 

昼間に行う予定でしたが、外来の患者様がいらっしゃったため、院長から、

 

「夕方に僕が一人でしておくから、いいよ。」

 

と言われました。

 

ただ、僕はここで、院長に夕方その作業をさせると、仕事を増やしてしまうから、空いた時間にできないかなと考えていました。

 

すると、たまたま、患者様が誰もいらっしゃらない時間が10分ほどできました。

 

そこで、院長に「今時間が空きましたので、僕がやっておきます。」と言って

その作業をさせていただきました。

 

その後、看護師長から、院長がとても喜んでいたとの報告を受けました。

 

ほんの小さな出来事ですが、

 

これによって、

 

院長が夕方その作業をする時間がなくなった = 院長が別のことする時間できた

 

つまり、相手の時間を作ることができました。

 

生活していく中で、

 

どうしても、意図せずに相手の時間を奪ってしまうこともあるかもしれませんが、

 

逆に、時間を与えることを意識することで、相手に喜びを与えれる存在になると、

自ずと時間管理もできてくるかもしれませんね。

 

相手の時間を奪っていることに気づかず、信頼関係をなくすことが「悲劇」ならば、

相手に時間を与えることで、信頼関係を構築できることが「喜劇」

 

時間をいう大きな資源を有効に使っていこう。

 

本日も最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

忙しいを楽しもう

皆さん、こんにちは。『悲劇を喜劇に変えるブログ』の管理人シマダマサヒロです。

今日も、記事を発信していきますよー。

よろしくお願い致します。

 

1.忙しいのが嫌だ

皆さんは、日頃「忙しい~。」と思うことってありますか?

 

忙しくて時間がない。

 

忙しくて休みがない。

 

忙しくてしんどい。

 

僕も正直あります。というか今がそうですね。

 

月曜日~土曜日までは、理学療法士としての仕事がありますし、日曜日は勉強会に行ったり、セミナーに行ったり、誰かと会ったり、フルマラソンに参加したり、何かと予定が入っていたりします。

 

また、平日も京都で仕事が終わった後、勉強会に参加するために、電車に乗って40分くらいかけて大阪に行ったりしています。

 

正直、大阪行くのも往復するだけで、「しんどい。」と思うこともあります。

 

忙しいとき、

 

たまには休みがほしい、でも休めない

 

なんて思うこともありますよね。

 

2.忙しいのはありがたいこと

でも、ふと我に返ったとき、私はこう考えています。

 

忙しいのはありがたい

 

なぜならば、この忙しいのは、すべて自分で選んでいることであり、ご縁だから

 

僕は、

 

今行っている勤務先も

 

セミナーも

 

コーチングも

 

誰かと会っているのも

 

すべては、私と同じように「より成長したい」という

先輩や仲間、恩師からのご招待なのです。

 

だから、始めるときは、自分が興味を持ち、この過程をこなしていく中で、

成長できると思って、自ら選んでいることなのです。

 

自分で忙しくしちゃっているんですが、、、、。

 

逆に、何もご縁がなかったり、1日何もすることがなかったりすると、

 

それは、とても寂しいです。

 

以前、私の尊敬する知り合いの経営者の方がこんなことを仰っていました。

 

「私は、30歳で起業し、50歳で仕事をすべて部下に引き継いで、引退した。

最初は、毎日ゴルフをしたり、旅行に行ったり、飲みに行ったり、楽しかったよ。

でも、なんか燃え尽きしてしまって、何もすることがなくなって、

生きている感じがしなかった。だから、今はこうやって仕事している。」

 

この話を聞くと、忙しいというのは、今を生きていることなのかもしれません。

 

忙しい中で、日々大変なことや、嫌なことがあっても、後になればそれはネタの材料となる。

 

生きていることは、ネタを作ること、それには忙しいことが条件なのかもしれません。

 

だから、忙しいのはありがたい。

 

忙しいのを、しんどいと思って、日々過ごしていまうことが「悲劇」であれば、

忙しいのを、ありがたい、今を生きていると思って、楽しむことが「喜劇」

 

 

「忙しい」ことをエネルギーに変えて生きていこう。

 

ただし、無理は禁物。たまには一休みも大切と思います。途中でやめなければ、大丈夫。

 

今日も、最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

ありがとうを伝えるとき

皆さん、おはようございます。『悲劇を喜劇に変えるブログ』の管理人シマダマサヒロです。

今日も、記事を発信していきますよー。

よろしくお願い致します。

 

1.「ありがとう」という言葉について

皆さん、人に何かしてもらったときに、少なくとも感謝をすると思います。

 

感謝の言葉を伝えるとき「ありがとう。」と言葉をよく使いますよね。

 

この言葉を伝えるのと、伝えないでは大きな違いがあると思います。

 

感謝の言葉は思っているだけでは伝わらない、言葉で伝えることは物凄く重要です。

 

ただ、僕は「ありがとう」という言葉だけでは、しっくりこない、感謝の言葉が相手にしっかりと伝わっていないなと思うことがあります。

 

相手からすると、

 

機械的に言われている感じ

 

社交的に言っているだけ

 

のように聞こえるのかなと思ったりもします。

 

2.職場でのエピソード

つい先日、職場での出来事です。

 

僕は、介護老人保健施設の通所リハビリ(利用者様が通うサービス)で仕事をしているのですが、介護士スタッフの人数が足りなかったため、その日は夕方に利用者様を送る(帰りの送迎)に同行する予定でした。

 

そのため、夕方にあえて仕事を入れずにいたのですが、事務のスタッフが、代わりに行ってくれるということで、帰りの送迎は行かずに済みました。そのおかげで、月末に行う予定だった事務処理をその日に済ませることができました。

 

僕は、後で事務のスタッフにお礼を伝えました。

 

「◯◯さん、送迎に行ってくださりありがとうございました。◯◯さんが送迎に行ってくれたおかげで、僕は後日に行う予定だった事務処理ができした。大変助かりました~(^ ^)」

 

「ホンマか~。それは、良かった(^ ^)。また、いつでも行くし言ってや~(^ ^)。」

明らかに、感謝の言葉が相手に伝わったなと思うエピソードでした。

 

3.「ありがとう」に一言付け加えてみる

なぜ、上記のエピソードで感謝の言葉が伝わったのでしょうか?

 

おそらく

 

相手の何に感謝しているのか?

 

そして、自分はどう助かったのか?

 

この2点がしっかりと相手に伝わったからではないか私は感じています。

 

私なりの解釈ですが、ちょっと大げさに言えば、相手が何かに貢献できたという存在価値を示す言葉なのかもしれません。

 

このエピソードでいえば、

 

事務のスタッフが送迎に代わりに出る→僕の事務処理ができる

 

つまり、署間の連携や、職場全体の業務に貢献できた。

 

このことをしっかりと言葉で間接的に伝えることができた。

 

私の経験上ですが、人は他人や何らかの組織に貢献できたときに、大きな喜びを感じます。

 

僕もそうです。

 

それは、おそらくその人がそこに存在している意味を示すことなのかもしれません。

 

でも、そのことって、当人はイマイチよくわからなかったりするんですよね。

 

そこを誰かがしっかりと言葉にすることで、初めて気づかされることも多いです。

 

「ありがとう」に一言加えると、感謝されていることが、より明確に伝わるのかもしれませんね。

 

感謝の言葉がしっかりと相手に伝わらないことが「悲劇」であれば

具体的に言葉にすることで相手にしっかりと伝わることが「喜劇」

 

「ありがとう」に一言加えて、感謝の気持ちを相手にしっかりと伝えてみよう。

 

本日も最後まで読んで頂きありがとうございました。