悲劇を喜劇にかえるブログ

「心と体の健康」について医療・介護での仕事、ビジネス、自身の心と体のデトックスの経験などから情報発信していきます。

悩んだときこそシンプルに考える

皆さん、こんにちは。『悲劇を喜劇に変えるブログ』の管理人シマダマサヒロです。

今日も、記事を発信していきますよー。

よろしくお願い致します。

 

1.何かに悩んでいるとき

皆さん、日々の生活で「悩み」ってあるのではないかと思います。

 

悩んだときって、いったい頭の中はどのようになっているでしょうか。

 

結構、いろんなことが頭の中にあって、複雑になっていることが多いと思います。

 

僕もどうしようもなく、悩むことはあります。

 

将来の自分のことだったり

 

今の仕事場での人間関係だったり

 

どちらの選択肢にしようか迷っているとき

 

など、どうしていいかわからないこと、よくあります。

 

もう一つ言える事として、悩んでいるとき相手や環境など周りに答えを求めてしまうということも言えるのではないでしょうか?

 

人に悩みを相談して、その人に答えを求めてしまう時、一件解決しそうに見えますが、

 

それは、友人が理にかなった答えを言っているか否かに関わらず、

 

余計に悩む時間を増やすことも多いのではないかと思います。

 

⒉自分と対話してわかったこと

僕は、以前こんなことがありました。

 

僕が理学療法士になって初めて転職しようか悩んでいたときです。

 

同職種の知り合いから、新しいクリニックを紹介されました。

 

僕は、そのクリニックの見学に行かせていただいたとき「ここで仕事をしてみたいな。」と思いました。しかもそこは、理学療法士の人数が足りないとのことで、すぐに人がほしい状況でした。

でも、その時勤務していた職場で新しい部署に配属になったばかりだったため、僕はすぐにその職場に転職することはしませんでした。

 

そして、時間だけが過ぎてしまい、悩んでしまいました。

 

今、転職したら部署に迷惑をかける

 

高い給料もらっているから、もしかしたら給料減らされるかもしれない

 

その職場の施設長と飲みに行って仲良くなったばかりだし、それで転職するのはなんか悪い気がする

 

僕は、そんなとき、自分の特徴に気がつきました。

 

「なんか、いろんな価値観を混同させすぎている。状況に左右されすぎているな。」

 

僕は、環境や人など周りの状況に影響され、それにより価値観が変動していました。

 

改めて、僕は自分に問いかけました。

 

自分は、どうしたいのか。

 

それにだけ、一点集中して考えたとき、転職するという決断ができました。

 

3.悩んでいるときにこそ、シンプルに考えてみる

初めて転職だったので、決断して職場の同僚や施設長に話をしたときに、何か言われるのではないかという恐怖がありましが、特に何も言われることなく、むしろ応援してくれるような感じで言葉を頂けました。ありがたいことでした。

 

悩みというのは、人それぞれありますし、その人によって深刻度も違います。

 

その中で、僕の転職に関する悩みというのは、小さなものかもしれません。

 

人は何かやりたいことがあって出来ないとき、いろんなフレームで物事を考えてしまいます。

 

お金の問題 「お金がないから。」

 

時間の問題 「時間がないから。」

 

人間関係の問題 「あの人からこんなことを言われるのではないか。」

 

場所の問題 「ここではちょっと無理じゃないか。」

 

そんなことで悩んでいるうちに時間が経ち、また別の問題が出てきて、

結局、何がしたいのかわからなくなってしまいます。

 

そんなときにこそ、自分は何がしたいのか、どうしたいのか、シンプルに考えてみる。

 

そして、それに従って行動する。

 

自分がやりたいことに従って決断して行動したとき、周りから言われることもありましたが、意外と大丈夫でした。

 

逆に、大丈夫と思って、周りの環境に左右されて行動したとき、後になって後悔することが多かったです。

 

周りの環境に左右され、どうしていいかわからなくなってしまうことが「悲劇」

自分の思うことに忠実になり、それに従って行動し、前進することが「喜劇」

 

シンプルに考えるのが一番ですね。

 

今日も最後までお読み頂きありがとうございました。

 

感情を抱くということ

 

皆さん、おはようございます。『悲劇を喜劇に変えるブログ』の管理人シマダマサヒロです。

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1.何かに対して感情を持っているとき

 

当たり前のことですが、人って感情を持っていますよね。喜びだったり、悲しみ、怒り、諦め、驚き、恐怖などがあります。

 

喜びなどのプラスの感情であれば、いくらでも起こってほしいものですが、そうもいかず、当然怒りや悲しみなど、マイナスの感情も起こってしまいます。

 

以前にもブログの記事で述べましたが、人ってよかったことなど、プラスの感情よりも、比較的怒り、悲しみなどマイナスの感情が頭に残っていることが多いと思います。

 

私も、マイナスの感情を持つことは多いです。

 

例えば、職場などの組織に対して

 

「もっと、今後の方向性をはっきりしてほしい。」

「なんで、もっと段取りよく仕事振ってこないんだよ。」

 

友達や知り合いとのコミュニケーションでも、

 

「なんで、そんな言い方するんだろ。」

「思ったより喜んでくれなかったなあ。」

「なんか腹たつなー。」

 

など、自分が組織や人、物事に対して、様々な想いだったり、感情を抱くことが多いです。

 

自分が何か行動するときって、そのマイナスの感情が阻害因子となってしまいます。

 

マイナスの感情というのは、とても嫌です。出来れば消したい。

 

2.何かに対して関心を持っているということ

でも、僕はあることに気がつきました。

 

組織や人に対して、マイナスの感情を持っているとき、冷静に考えてみると、

 

少なくとも関心をもっているということ

 

そもそも、興味や関心がなかったら、プラスの感情もマイナスの感情も湧いてこないです。

 

仕事でマイナスの感情を抱くときは、仕事に一生懸命になっている証拠

 

妻や子供、両親、恋人に対してマイナスの感情を持っているときは、その人のことを大事に思っている証拠

 

すべての事に当てはまらないかもしれませんが、少なくとも最近の僕はそう思えるようになりました。

 

そう思うと、気持ちが非常に楽になります。

 

逆に、相手が自分に対して、マイナスの感情を抱いてきたとき、

 

相手は自分に対して関心がある

 

と思えるとちょっと嬉しくもなります。

 

逆に、何も感情を抱かなかったら

 

関心がないんだなと

 

解釈できます。

 

何かに対して感情を抱くというのは、少なくとも興味・関心を持っていということ

 

そこに何となく可能性というものを感じます。

 

マイナスの感情そのものに捉われてしまうことが「悲劇」であれば、

少なくとも関心もたれていると解釈できることが「喜劇」である

 

感情というものに可能性を感じて生きていこう

 

本日も最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

あるがままで

皆さん、こんばんは。『悲劇を喜劇に変えるブログ』の管理人シマダマサヒロです。

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よろしくお願い致します。

 

1.自分に足りないものに目を向ける

自分が何か目標をもったり、あるいは成りたい自分に向かって取り組むとき、どような在り方でいるでしょうか。

 

おそらく、そのためには◯と△をしなければならない。

 

と考えるのではないでしょうか?

 

例えば、フルマラソン42.195kmを完走するといった目標をもったとき

 

まずは毎日1時間ジョギングしないといけない

 

休みの日には、20km走らなければならない

 

または、筋トレしなければならない

 

など、完走するための行動計画を立てるのではないでしょうか。

 

ただ、それが、計画通りにいかなくなったときに、もっと頑張らなければならないなど、焦りを感じることもあるのではないかと思います。

 

つまり、自分の足りないものに目を向けがちです。

 

そうなると、正直毎日の練習や取り組みも辛くしんどいものになってきますよね。

 

2.自分に在るものに目を向けてみる

そんな焦りを感じたとき、少し楽観的と言われるかもしれませんが、僕はこんな風に考えるように切り替えます。

 

自分はすでに在る、と。

 

フルマラソンでいえば、僕は2週間前、福岡県の久留米市で、フルマラソンを走ったときに、タイム的には6時間近くかかってしまいましたが、完走はできました。

 

練習はというと、正直十分にしているとは言えませんでした。

 

それでも、なぜ完走できたかというと、、、、

4月にフルマラソン1回完走した経験

去年の9月にキリマンジャロ登山に挑戦した経験

去年の12月に六甲全山縦走を完走した経験

今年の8月に槍ヶ岳に登頂した経験

 

など、過去に色々な経験をしたからだと思うのです。

 

これが、フルマラソンを完走する力を持っている。

 

即ち、すでに在るとういうことになるのではないかと思います。

 

ただ、これは、だから何もしなくて良いってわけでないんですけどね。

 

視点(見方)の問題で、

 

ないないない、足りなーいって、焦ってしまったとき

 

この「すでに在るんだ。」という観点をもっておくと非常に楽な気持ちでに物事を取り組めるのではないかと思います。

 

僕は、先日、ある理学療法士の先輩からコーチを受けました。

 

コーチでは、何か新しいことに取り組もうと言われるのではないか?

 

そういった期待と不安がありました。

 

でも、僕がすでに取り組んでいることや、やりたいと思っていることをコーチに伝えたところ、、、、

 

それでいいじゃん!続けようよ!

 

答えはその一言でした。

 

この瞬間、僕は、今、取り組んいることに自信が持てました。

 

「すでに在る」

 

それは、自信ということを指すのかもしれませんね。

 

自分に足りないものに焦点を当てすぎて、悲観してしまうことが『悲劇』ならば

自分に在るということに目を向け、意欲的に取り組めることが『喜劇』

 

自分に今在るものに目を向け、それを育てていこう。

 

今日も最後まで読んで頂きありがとうござました。

 

他人を変えるよりも自分を変えてみよう

皆さん、おはようございます。『悲劇を喜劇に変えるブログ』の管理人シマダマサヒロです。

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1.他人に原因を求めているとき

皆さんは、仕事でもプライベートでも何かトラブルが起こったときに、他人に原因を求めたりすることってありますか?

 

おそらくあるのではないかと思います。

 

そう言っている僕も正直あります。

 

なぜかというと

 

自分を否定されたくない。

 

自分が責められるのが嫌だ。

 

そう思っているからです。

 

でも、不思議と他人に原因を求めて、他人を変えようとしても、結局何も変わらないことって多いですよね。

 

僕も、以前に勤務していた介護老人保健施設で業務改善をするためのプロジェクトに参加していたとき、そのプロジェクトを任されていたリーダーがチームの思っていたように動いてくれていませんでした。よくあるパターンで、「◯◯をやる」と口で言っておきながら、その通り動いていないという状況でした。

 

そんなとき、僕もそうでしたが、

 

「もっと△△してください。◯◯をやるって言ったじゃないですか?」

 

とよく言葉にしがちですよね。

 

でも、それをリーダーに求めても、結局何も変わりませんでした。

 

 

2.他人に原因を求めているとき自分にもできることがある

上記の老健での業務改善プロジェクトに関して結局うまくいきませんでした。

 

その当時の僕はリーダーに原因があると思っていましたし、上層部の方もそう解釈していました。

 

でも、今考えてみると、あのとき自分にもできることがあったのではないかと思います。

 

それは一言でいうと

 

「リーダー、もっと⬜︎⬜︎を私がやっていきましょうか。」

 

といった、フォローする立場をとるという在り方ですね。

 

職場でも会議のときに、出された意見に対して、よく批判をするスタッフ見かけますよね。

 

でも、、、その人って何もしていないんですね。

 

他人に原因を求めたりしているとき、大抵の場合、自分は何もしていないことが多いです。

 

そんなとき、自分にできることはないだろうか?

 

視点を変えてみて行動してみる。

 

そうすると、プロジェクトは、良い方向に進むことが多いのではないでしょうか。

 

もし、自分の部署に部下がいたとき

 

「もっと、◯◯してください。」と言っている部下と

「私が⬜︎⬜︎しておきましょうか。」と言っている部下

 

どちらの部下と仕事しやすいですか?

 

もちろん、後者の方ですよね。

 

他人に原因を求めて自分は何もせず結局うまくいかないことが『悲劇』であれば、

自分が変わり行動することでうまくいくことが『喜劇』

 

他人を変えるよりも自分を変えて行動してみよう

 

今日も最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

自由を手にするということ

皆さん、おはようございます。『悲劇を喜劇に変えるブログ』の管理人シマダマサヒロです。

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1.自由とは?

皆さんは「自由」になりたいと思ったことはありますか?

もしくは、今「自由」と思っているでしょうか?

 

先日、私が勤務している介護老人保健施設の事務長と数名の職員で飲んでいたのですが、そのとき、こんな話題が出ました。

 

自由ってなんだろうね?

 

産休であるけれど、3人の子供を育てなければならず、自由な時間がない。

 

あの人は、管理で責任を負わされていて、まるで自由がない。

 

かたや、あの人は、パートで働いていて、しかもそれ以外の日は、自分で好きなことを事業にしてやっていて、正に自由だ。

 

自由というと、皆様は「自分の時間がある」ことを思い浮かべるのではないかと思います。

 

僕も忙しくて時間に追われているときって、自由がないなと感じてしまいます。

 

2.自由はその人の心の次第

でも、事務長との飲み会で話していて出た結論というのは

 

自由ってその人の心の問題だよね。

 

ということでした。

 

時間があることが決して自由ではないんですね。

 

どういうことかというと、子育てをしていても、管理職や経営者をしていても、自分で人生を選択することってできると考えます。

 

かたや、自由に使える時間があったとしても、何をしていいのかわからずぼーっとしたりしていると、それは自由ではないと考えます。

 

僕は、今からちょうど2年前は、今の仕事を週4日、非常勤でやっていたので、残りの週3日は自由に使える時間がありました。

でも、心は自由ではありませんでした。

 

なぜならば、何をしていいのか、わからずさ迷っていたからです。

 

仕事をしたくなくて、自由な時間が欲しくて、給料を下げてまでも時間を手にしたのに、何かをしなきゃと、追われていました。

 

でも、今は、正社員として働いており、休みの日も予定が入り、とても忙しいですが、

 

心の中は自由です。

 

なぜならば、人からではなく、自分で自分の人生を選択しているからです。

 

自分で決めること

 

それは、責任を伴いますが、同時に自由を手にすることができます。

 

 

何をしていいのかわからず、心の自由がないことが『悲劇』であれば、

忙しいけど自分で人生を選択している、心の自由を得ていることが『喜劇』

 

時間の自由も大切ですが、何よりも自分で選択して「心の自由」を手に入れよう。

 

今日も最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

ゴールを決めたら最後まで諦めないこと

皆さん、こんばんは。『悲劇を喜劇に変えるブログ』の管理人シマダマサヒロです。

今日も、記事を発信していきますよー。

 

1.フルマラソン完走しました

私事ですが、先日、福岡県の久留米市で行われた「筑後川フルマラソン」に出場し、完走しました。

 

フルマラソンといえば、42.195kmの距離があります。車でも30分以上はかかりますよね。今回完走するのに私は、5時間46分かかりました。とてもなが~い道のりでした。

 

途中、30kmあたりからが物凄く息切れと筋疲労に襲われてしまいます。しかも、今回練習不足でしたので、4月のフルマラソンよりも酷かったです。

 

前回の完走タイムが5時間11分でしたが、30km超えた地点で、ほぼ記録更新はできないと思ってしまいました。

 

筋肉痛も増してきている状況で、もう走るのをやめようかなと思ってしまい、気力をなくしてしまいがちでしたが、ここで踏ん張って何とか完走しようと最後まで諦めませんでした。

 

また、35km越えたあたりから、僕と同じ位置にいたランナーの人が、自分のペースを守り一生懸命走っている姿をみて、勇気づけられました。だから、僕も40kmあたりから、歩くのをやめて、ゴールまで走り続けることができました。

 

2.最後まで諦めないこと、一緒の仲間がいることで必ずゴールに辿り着く

僕が今回のフルマラソンを完走して感じたことは、

 

一回ゴールを決めれば、例えどんな問題・障害が立ちはだかろうと、辿りつけること

それは、途中休んだりしても構わないけど、途中でやめないこと

 

もう一つは、一緒に頑張っている仲間がいること

 

今回、たまたま一緒に走っていたランナーは知り合いではなかったのですが、同じ苦しい想いをしながら、同じゴールを目指している仲間であること

 

仲間がいることで、励まされ、力が倍増されました。

 

まだ若干32歳の私が言うのもなんですが、人生も同じなのかもしれません。

仕事においても、家庭においても

 

何らかのゴールを決めたら

どんな障害が起きても、途中でやめないこと

 

そして、一緒に切磋琢磨しあう仲間がいること

 

人生は短距離走ではなく、長距離走なんですね。

 

今回、完走してみて、そんなことを感じました。

 

しんどいと思って途中でやめてしまう中途半端さが『悲劇』であれば、

どんな形でもゴールまで辿り着くことが『喜劇』

 

人生決めたら何とかしてその場所に行ってみよう。

 

今回も最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

誰から指摘されてもまずはやってみよう

皆さん、こんばんは。『悲劇を喜劇に変えるブログ』の管理人シマダマサヒロです。

今日も、記事を発信していきますよー。

 

1.他人から指摘を受けた場合

皆さんは、仕事やプライベートで他人から指摘を受けることってあるのではないかと思います。

それは、仕事でいえは会社の上司や同僚、部下から指摘を受けることになりますし、プライベートでは奥さんや両親、子供かもしれません。

 

では他人から指摘を受けたときどう対応しますか?

 

指摘を受ける相手が会社の上司であれば、これは直さないと会社の評価に直結すると感じて、すぐに指摘された通りに行動するのではないかと思います。

 

それが、もし後輩や、同僚、家族だったりしたらどうでしょう?

 

確かにそうだけど、自分の中では別に直さなくてもいいと思っているからそのままにしておこう。

あるいは、自分がやっていることが正しいと思っているから、聞くだけ聞いといてあとは流しておこう。

 

こんなことを一瞬でも心の中で思ってしまうことってないでしょうか?

 

僕も正直あります。

 

指摘を受ける相手によって、態度や行動が随分変わってしまうものですよね。

 

2.指摘を受けたことをとりあえずやってみた

僕が、ある回復期の病院に勤務していたときにこういったエピソードがありました。

 

僕が公休の日に、担当させて頂いていた利用者様の理学療法業務を、1年下の後輩が代行してくれました。

 

次の日に、その後輩から

「シマダさん。◯◯さんの理学療法、もっと△△の治療を行った方が良いですよ。」

と指摘されました。

 

僕は、正直な話「偉そうに。」と思ってしまいました。

 

でも、そこを我慢して、「わかった。やってみるよ。」と返答しました。

 

後輩の言う通りにやってみて、実際その患者様の治療効果が出ました。後輩の言っていることは正しかったのです。

 

僕は、そのとき「後輩に負けちゃったな。」と思って落ち込んでしまいました。

 

しかし、そこを何とか堪えて、後輩に

「◯◯さんに△△の治療を行ったら良くなったよ。ありがとう。」

とお礼を言いました。

 

すると後輩はとても喜んでくれて、その後、僕と後輩の人間関係はますます向上していったのです。

3.指摘を受けることは決して否定されることではない

指摘を受けるとなると、自分を否定されたんだと思って、落ち込んでしまうことってあると思います。

 

特に、同僚や後輩、友人などから言われた場合は、自分自身のプライドに泥を塗られたと思ってしまうこともあるでしょう。

 

だから、感情的になって指摘されたないようが冷静に受け入れられないこともあるでしょう。

 

しかし、指摘をした人は、相手に対して

 

変わってほしい

改善してほしい

良くなってほしい

 

と思っている言っていることもあるのです。

 

上記のエピソードでも、指摘をしてくれた後輩は、患者様に良くなってほしいという想いがあったからです。

 

だから、指摘する=相手を否定する

 

ではないのです。

 

もちろん、相手を否定し、自分を正当化するために指摘する人もいるかもしれません。

 

僕の場合、そう感じととったら、間に受けずに聞き流してしまいます。

 

ただ、誰から指摘されても、その内容を冷静に受け取り、行動することで、相手にも喜びを与え、人間関係が向上する可能性が高まるのではないかと思っています。

 

なぜならば、指摘したことをやってくれたら、自分はその人の役に立っていると感じるからです。

 

他人からの指摘に感情的になり、流してしまうことが「悲劇」であれば、

それを冷静に受け止め、行動し、人間関係がより向上していくことが「喜劇」

 

誰から指摘されてもまずはやってみよう。

 

今日も最後まで読んで頂きありがとうございました。