悲劇を喜劇にかえるブログ

「心と体の健康」について医療・介護での仕事、ビジネス、自身の心と体のデトックスの経験などから情報発信していきます。

組織にコミットメント(所属)しているという自覚を持とう

皆さん、こんばんは。『悲劇を喜劇に変えるブログ』の管理人シマダマサヒロです。

今日も、記事を発信していきますよー。

 

1.もし直属の上司が自分より下の人だったら

皆さんは、会社の社員であるとき、直属の上司、特に、部署の課長や係長、主任といった管理職の人が年下や自分よりも仕事上でのキャリア(経験年数)が低い人だったことってありますか?

 

そんなことってあるのと言われる方もいらっしゃるかもしれません。

 

でも、私が仕事している医療・介護業界では、珍しくないのです。

 

なぜかというと、特に女性に多いんですが、看護師、介護士、理学療法士作業療法士どの資格職など、経験年数が長い人は、子育てなど、家庭との両立のために非常勤(パート)として働いている人が多く、その方は管理職にならないことが多いからです。

 

ということは、比較的経験年数が浅い人でも、正社員としての上司がその職場に存在しなければ、そのまま、自動的に管理職になる傾向にあるのです。

 

また、医師・看護師などの資格を持っていれば、転職しやすい業界でもあるため、2~3年で職場を変わるとなると、経験年数が多くて正社員になったとしても、経験年数が低い人がその職場での勤続年数が長ければ、その人が管理職になることもあるのです。

 

その是非に関しては、この場ではあえて述べませんが、もし仮に直属の管理職や上司が自分よりも経験年数が下だった場合、あなたはどのような在り方でその上司(管理職)に接しますか?

 

2.経験年数が上だけで。。。。

僕も過去、このような状況に置かれたことがあります。

 

ちょうど、僕がある介護老人保健施設に勤務していたとき、僕よりも経験年数が低い方が主任でした。僕はその人よりも後に入職したので、そのような組織になってしまいました。

 

僕は、経験年数が高かったため、それなりのプライドを持って接していました。

 

あろうことか、僕はその人のことを主任と言わず「◯◯さん」と言っていました。

 

別にその人との関係性がうまくいっていないわけではなかったのですが、僕はその人が部署の会議などで、僕と考えが違うことを言っていると、

 

「何言っているんですか?それは、ちょっと違うんじゃないですか?」

 

なんて、心の中で思ってしまっていました。

 

それが、態度にも出てしまっていましたね。

 

だから、自然とその主任も経験年数が上である僕に気を使ってしまい、あまりコミュニケーションをとらなくなってしまっていました。

 

そして、僕はあることに気がつきました。

 

自分はこの組織で仕事しているという自覚がない。

 

すなわち、たかが経験年数が上というだけで、主任に対して僕が上だという態度をとるということは、その主任の元で働いている自分を否定していることだ、ということに気がついたのです。

 

だから、振り返るとそのときの自分って随分仕事が雑になっていたなと感じています。

 

3.組織にコミットするということ

それにか気がついて以降、僕はその主任のもとで仕事をしている(コミットしている)という自覚を持ちました。

 

まず、その上司に対して「◯◯主任」というようになりました。

 

そして、尊敬の念を持って接するようになりました。

 

僕なりの尊敬の念とは、

 

・僕はその主任のおかげで今のポジションで仕事をさせて頂いている

・主任は、その部署の責任を引き受けてくださっている

 

ということです。

 

それ以降、僕はその主任とコミュニケーションがとれるようになりました。

 

そして、仕事も捗るようになり、僕に対する評価も高くなりました。

 

僕らのような医療資格職は、職人気質なところもあり、その仕事の経験年数が高いというだけで、プライドを持ってしまいがちです。

 

決して、それが悪いということではありません。

 

ただ、それが在り方によっては、組織にコミットするという点では、大きな荷物になってしまうこともあるのではないかと考えます。

 

経験年数の高さは、主任の間違いを問題視するのではなく、むしろ右腕的な存在となって、リーダーをフォローするという立場をとる。

 

それが、経験年数が高い人なりの、組織にコミットメントするという在り方なのではないかと思います。

 

リーダーやその組織にいる自分を否定し、評価を下げてしまうことが「悲劇」ならば、

リーダーを尊敬し、その組織人という自覚を持ち、喜びをもって働くことが「喜劇」

 

組織にコミットメントしているという自覚を持ち、その中で自分にできることは何か考え行動していこう。

 

本日、最後までお読み頂きありがとうございました。

他人事ではなく自分事として生きる

皆さん、こんばんは。『悲劇を喜劇に変えるブログ』の管理人シマダマサヒロです。

今日も、記事を発信していきますよー。

 

1.他人事として生きているときって

皆さんは、他人事として生きているときってないでしょうか?

 

僕は、よくあります。

 

例えば仕事でも何か部署にておいて、新しいプロジェクトとやるときに、あまり意見をださずによくその場を凌いでいこうとします。

 

なぜ、そんなことをしてしまうのか。

 

1つは、自分が意見を言って他人から批判されるのが怖いからです。

 

もう一つは、自分が意見が仮に通って、自分がそのプロジェクトのリーダーになった場合、失敗して上司や同僚に批判されるのが怖いからです。

 

これは、僕だけでなく、殆どの人がそんな経験があるのではないかと思います。

 

しかし、他人事として生きているときって、実は非常にもったいないことをしているって気づきました。

 

それは、経験する機会を失っていることです。

 

仕事のプロジェクトでいえば、

 

自分の意見を述べることによって、他人からの批判を含めて、新たな気づきを得る機会ができます。

反対に自分の意見を述べなければ、その機会すらも失ってしまいます。

 

また、自分の意見が通って、そのプロジェクトのリーダーになることで、組織を動かすという経験ができる。それがうまくいけば上司にも評価される。これは、例え失敗したとしてもそうです。

 

反対に何も言わなければ、リーダーになる機会すらも失ってしまいます。

 

誰だって、失敗したり、批判をされるのは怖いですよね。僕も物凄く怖いです。

 

だから、仕事でも中間管理職って誰もなりたがらないですよね。

 

部下や上司から責任を追及される標的になりがちです。

 

2.自分事として生きているときって

逆に自分ごととして捉えて何か行動されたことってありますか?

 

人前で意見を述べたり、話したりするの苦手な僕ですが、それでも何かプロジェクトのリーダーを任されたりすることもありました。頼まれやすい性格なので(笑)

 

例えば、社員旅行の幹事や、登山の隊長など。

 

もちろん、計画・実行していく上で批判されたこともありました。

 

ただ、そうではなく、チームの人が助けてくれたこともありました。

 

チームの人が助けてくれるときって、どんなときでしょうか?

 

それは、

 

自らが真剣になってやっているとき

 

ですね。

 

僕は、以前に登山仲間5名で、槍ヶ岳登山を企画を務めたことがありました。

 

槍ヶ岳というと、滑落など登山事故が多いことで有名な山ですから、事故にあってはならないと思って、綿密に登山計画を準備していきました。

 

そうすると、過密スケジュールだったにも関わらず、4名の登山仲間の方が、当日色々と助けてくれて、無事に、予定通り帰ってくることができたんですね。

 

この時は、とても感動しました。

 

リーダーの僕だけでなく、他の4名の登山仲間も自分事として真剣になっていたってことですね。

 

3.他人事と自分事の違い

自分事と他人事の違い極端に言うと

 

自分事は、自らがやりたくて本気になってやっているとき

他人事は、何かやらされている感がするとき

 

不思議なことに自らが真剣になってやっているときは、

 

チームや部署にもそれが伝染し、リーダーでなくても自分事として取り組んでくれます。

 

だから、リーダーに協力しようしたり助言しようとする姿勢が生まれてきます。

 

逆に何かやらされている感だったりしてるときって

 

部署だったり、チームの皆さんも、伝染してやらされている感になり、

 

まるで他人事のようにリーダーを批判します。

 

これって非常にもったいないことですね。

 

批判される人も、批判する人も。

 

だから、何事も今ここに、自分事として取り組むことが、未来へと繋がる

 

今置かれている自分の状況からそう感じています。

 

批判ばかりして他人事として生きることが「悲劇」であれば、

自らが発信源となり、自分事として真剣に取り組むことが「喜劇」

 

他人事ではなく、自分事として生きていこう。

 

今日も読んでいただきありがとうございました。

 

人の話を聞くときって

皆さん、こんばんは。『悲劇を喜劇に変えるブログ』の管理人シマダマサヒロです。

今日も、記事を発信していきますよー。

 

皆さんは、仕事や普段の生活の中で、人から聞いた話をどのように受け止めているでしょうか?

 

①それをそのまま本当のこととして真に受けてしまう。

 

②そのことを一旦受け止めて、物事を自分で実際に確かめる。

 

③このひとの言うことは宛にならないから聞いたふりして、聞き流す。

 

私的には主にこの3つのパターンがあるのではないかと思います。

 

聞き方の理想としては、②の聞き方が一番良いですよね。

 

そうなんです。頭ではわかっているんです。ただ、過去の経験や体験などから①や③の聞き方をしてしまうこともありますよね。

 

例えば、以前私が勤務していた介護施設の職場でこういったエピーソドがありました。

 

僕と同僚のスタッフが僕にこんな事を言ってきました。

 

「シマダくん、ある部署の主任さんが他事業所の相談員に毎月FAXで送っていた利用者様の状況を書いた書類を今後は送らないようにするって言っていたよ。これってさあ、ぜったいまずいよね。」

 

確かに、このスタッフがまずいと言っている意味も理解できます。なぜならば、事業所ごとで連携をとってケアを行っていく上で、他の事業所に何らかの形で、利用者様の情報提供することは重要だという通念がある中で、今後情報を送らないのはそれに反しているからです。

 

ただ、僕がこの事を真に受けてしまう、つまり①を選択していたら、あの主任は良くないことをしていると勝手な思い込みをしていたでしょう。

 

しかし、このとき僕は②の選択をしました。なぜならば、主任も情報提供することの重要性をわかっている中で、情報を送らないという選択をした可能性があるとしたら、主任もそれなりの考えがあったからだと思うからです。

 

そして、実際に主任になぜ情報を送らないようにしたのか、理由を聞きに行きました。

 

主任の返答は

「一回情報提供を送ったときに、相手側の事業所から、変化のない利用者様に毎月送らなくても大丈夫だと言われました。なので、プランの変更があったときや、3ヶ月に一回情報を送ることにしました。」

 

と言った内容でした。

 

②の選択をしたことにより、又聞きしただけではわからなかった事実が明確になりました。その話を聞いて僕はなぜ主任がそのような考えに至ったのか理解できました。

 

その事が妥当なのかどうかは別なのかもしれません。

 

ただ、②の選択することで、より事実が鮮明になるし、相手に対する偏見もなくなります。

 

即ち、双方の意見を聞くことです。

 

もちろん、その上で反対意見があるのであれば、そこで主張すればいいと思うのですが、その前に事実関係やお互いの考え方、価値観を踏まえることが大事ですね。

 

人が言ったことを全く信用しない③の選択は、まったくお互いの信頼関係が成り立っていない証拠になるのですが、例えそうであったとしても、まずはその人の話を聞いて見る心の広さが大切かなと感じます。

 

人から聞いた話は、往々にして、話す人も、聞く人も自分の価値観に当てはめてしまいがちです。

 

だた、そこを手放して、聞く姿勢を持つことで、新しい事実を発見したり、新しい人間関係を構築していけるのではないかと思います。

 

人から聞いた話を鵜呑みにしたり、聞く耳を持たないことが「悲劇」であれば、

人から聞いた話を一旦受け止めて自分で確かめ、新しい事実や関係性を発見することが「喜劇」

 

人の話をその人や自分の価値観と切り離して聞いてみよう。

 

今日も読んでいただきありがとうございました。

 

『1日の良かったこと』って

皆さん、こんばんは。『悲劇を喜劇に変えるブログ』の管理人シマダマサヒロです。

今日も、記事を発信していきますよー。

 

1.良かったことに目を向ける

先日発信した記事の中での「良かったことに目を向ける」ことについてもう少し詳しく書いてみようと思います。

 

例えば、今日こんなことがありました。

 

仕事帰りのバスの道中僕は一番後ろに座っていたのですが、ある停留所から多くの人が乗車し、バスの中はぎゅうぎゅう詰めになりました。

 

僕が乗っている路線バスでは、前の方にドアがありますから、当然この状態では、降りたい停留所に降りる時に、前の扉まで行くのにかなり苦労してしまうことは予想できます。正直このとき僕はどうしようかなと思っていました。

 

しかし、運転手さんが、的確な状況判断をしてくださり、降りる時に後ろの扉を開けてくれました。だから、人混みの中を行かずに、スムーズに降りることができ、大変助かりました。とても親切な運転手さんだなと思い大変感謝しました。

 

2.一つ出来事の解釈

このようなことは日常で良く起こっていることではないでしょうか?

 

さすがにその時は、「助かったー。」と思っているでしょうが、時間が経つと、何事もなかったかのように忘れてしまうと思うのです。

 

だから、1日のうちの良かった事として解釈されないのです。

 

僕は、ある知り合いの人に「良かったことを5個日記にしている」と伝えたところ

意外な反応が返ってきました。

 

「5個も良かったことなんて見つからないよ。」

 

確かに以前の僕もそうでした。

 

しかし、それはなぜかというと、ある出来事を良かったこととして解釈していないことが多いからではないでしょうか。

 

わかりやすく言うと、良かったことの閾値(ハードル)が高いのかもしれません。

 

ではどうすれば良いのか。

 

1日に起こっている当たり前のことを良かったこととして解釈してみる。つまり閾値を下げてみる。

 

先ほどの通勤バスの出来事に関しても「人が多いんだから後ろの扉を開けてくれて当たり前だ。」と解釈する人もいるでしょう。

 

でも、そこを「後ろの扉を開けてくれてとても助かった。良かった~。」と解釈することで、1日のうちの良かったことが確実に増えていきます。

 

先日の記事でも書きましたが、良かったことが増えると1日の満足度が確実に変わってきます。

 

例え計画していたことが上手くいかなくても。

 

1日に良くある出来事をまるで自分に幸せを与えてくれるかのように解釈してみよう。

 

そうすると、とてもいい話が入ってくることもあります。

 

1日の出来事を当たり前と解釈することが「悲劇」であれば、

それをとても良かったと解釈することが「喜劇」

 

良い方に解釈することで1日の満足度が倍増してしまう。

 

今日も読んでいただきありがとうございました。

 

1日良かったことを記録する

皆さん、こんばんは。『悲劇を喜劇に変えるブログ』の管理人シマダマサヒロです。

今日は久しぶりの更新になりますが、記事を発信していきますよー。

 

1.日記をつける

皆さんは、日記をつけていますか?

 

日記をつけると1日あったことで、良かったこと、悪かったことチャレンジしてみたことなど、

整理ができると言われています。

 

僕も毎朝日記をつけています。

 

日記に何を書いているかというと、「昨日良かったこと」を書いています。

 

これは、僕のある知り合いの人から教えてもらったのですが、

 

これを書くことで毎日の充実度が格段に変ってきます。

 

2.良かったことを書くことの効果

良かったことを書くことでどのような効果が得られるのでしょうか?

 

それは、昨日1日を生きたことを後悔しないこと、1日を大事に過ごしたと認められることです。

 

1日過ごした内で、悪かったことや、嫌だったことは記憶に鮮明ではないかと思います。

 

例えば、

 

仕事で大きな失敗をしてしまった。

 

会社の上司に怒られた、注意された。

 

家族と喧嘩してしまった。

 

など、思い出さなくてもはっきりと覚えていると思います。

 

ただ、良かったことは、すぐに忘れていまい、記憶にないのではないのでしょうか。

 

でも、書き出してみてください。

 

例えば、

 

美味しい焼肉を食べた。

 

通勤で、いつも空いていないバスの座席が空いていた。

 

いつもより仕事が捗った。

 

行きたいライブのチケットがとれた。

 

美味しい刺身がいつもの半額だった。

 

など、結構あるものですよね。

 

良かったことを書き出し、後で見返してみると、

 

昨日嫌なことがあっても、なんだかんだ言って1日充実していたよね。

 

と感じることができます。

 

⒊良かったことに目を向けてみる

仕事でも「今日はなんか疲れた」など、ついマイナスな発言をしていまいがちではないでしょうか。また、同僚からもそういった声が聞かれることが多いです。

 

反対に「今日◯◯の仕事が捗って充実していたよ。」といったプラスの言葉ってあまり発したりしないし、周りからも聞かれることって少ないのではないでしょうか。

 

少なくとも、僕はそう感じます。

 

でも、良かったことも探してみると、きっとあるはずです。

 

それは、些細なことでもいいと思います。

 

「記録用紙が新しくとても綺麗だったので、書きやすかった。」など。

 

それは、自分や他人を承認することにも繋がります。

 

嫌なことがあり、今日は1日ついていなかったと思うのが「悲劇」であれば、

嫌なこともあったけど、いいこともあって良かったなと思うのが「喜劇」

 

良かったことに目を向けて最高の充実した1日を過ごしてみよう。

 

今日も読んで頂きありがとうございました。

 

相手を承認するということ

皆さん、こんばんは。『悲劇を喜劇に変えるブログ』の管理人シマダマサヒロです。

今日は久しぶりの更新になりますが、記事を発信していきますよー。

 

1.僕がこの1週間で学んで実践したこと

僕は先週末、大阪にある人間探求のセミナーに参加していました。3日間と一晩の研修だったのですが、そこで学んだことの一つを皆さんにシェアしていきたいと思います。

 

セミナーで学んだこと、それは

 

相手を承認するということ

 

承認とは、辞書的には「良しとして認め、許すこと、聞き入れること」という意味です。

 

つまり、相手を承認するということは、相手を認めるということですね。

 

僕はセミナーでこの事を体感し、次の日の仕事で勤務先の同僚に対して実践しました。

 

すると、同僚の僕に対する接し方が変わったのです。

 

2.相手を承認することで人間関係が良くなる

僕は、このセミナーに参加するまでは、相手を真の意味で承認することができませんでした。

 

例えば、

 

この人は自分より仕事が早い。自分より仕事ができるなんて嫌だ。

 

この人はなぜ僕の思うように動いてくれないんだろう。

 

この人は、今の自分がどれだけ大変か分かってくれていない。

 

など。相手と比較し、自分を正当化することばかり考えていました。

 

それが、相手を承認できるようになると、

 

この人は自分より仕事が早い。それで自分は物凄く助けられている。

 

この人は、自分なりの価値観を持って動いてくれているんだな。

 

この人は、自分なりに僕のことを分かってくれている。

 

と自然に思えるようになりました。

 

⒊言葉にして伝えることが大事

「ありがとう」などの感謝の言葉を伝えることは、意外と照れ臭くて難しいものです。

 

しかし、そこを言葉にして伝えることで、初めて相手にわかります。

 

相手を承認する上でも、

 

「◯◯さんは、仕事が早いですね~。そのお陰で僕は利用者様の臨床業務に専念できますよ~。」

と言った感じで言葉にするのです。それも自然に。

 

これを一言だけでも相手は嬉しいはずです。

 

少なくとも僕が言われたら嬉しいですね。

 

家族と一緒に過ごす時も、仕事で連携するときも、

 

まずは、相手が考えていること、やっていることを承認する。

 

例えそれが自分の求めているレベルに達していなくなても。

 

これが物凄く重要だと僕的には思っています。

 

相手と比較し自分を正当化することが「悲劇」であれば、

相手を承認しお互いを分かち合うことが「喜劇」

 

相手を承認して最高の喜びを分かち合おう。

 

今日も読んでいただきありがとうございました。

 

僕の『悲劇を喜劇に変える』本当のミッション

皆さん、こんばんは。『悲劇を喜劇に変えるブログ』の管理人シマダマサヒロです。

今日も、記事を発信していきますよー。

 

今日は、僕のこのブログに込めた思いについてお話ししていきます。

 

1.僕の周りにある悲劇

僕の周りには、一般的に「悲劇」と言われることは、たくさんあります。

 

それは、

①僕の生まれた町 福岡県大牟田市

「三池炭鉱」で知られているように、過去日本最大の炭鉱の町と言われたが、1997年に炭鉱が閉山して以降、人口が減少・高齢化比率が高く、過疎化地域に指定されている。

 

②僕が関わっている医療・介護業界

財政難により、医療介護費は圧迫されている。そして、介護人材の不足、介護職の低賃金問題などが社会的に騒がれている。また、高齢化が進んでいる。

 

③僕が持っている理学療法士という資格

毎年1万人近く、資格者を排出しており、供給過多になりつつある。平均年収も徐々に下がってきている。

 

他にもたくさんありますが、少なくともこの3つが僕が頭にあることですね。

 

2.悲劇を180度回転すると喜劇になる

僕は、以前はこれらの3つの悲劇から目を背けようとしていました。

 

そして自分探しの旅を始めました。

 

でも結局は見つかりませんでした。

 

自分はどうしたらいいんだと悩んだときに、僕はあることに気がつきました。

 

実は、これは、自分で勝手に悲劇と思い込んでいたのではないかと。

 

悲劇と思い込んでいるということは、自分を否定したのではないか。

 

そして、これら3つの悲劇は、見方を変えれば、喜劇になると。

 

今はまだ、その光に気づいていないだけである。

 

 

⒊これからは喜劇に変えるために行動

僕が悲劇を喜劇に変えるために掲げているミッションは以下になります。

 

①僕の生まれた町大牟田市に新しい風を吹き込む。

過疎化している地方にこそ眠っているチャンスがあるはずです。今はまだそれが顕在化されていないだけだと思います。

 

②元気な高齢化社会を創造し、介護職をホワイトカラーにする。

高齢化社会における問題解決こそ、日本経済を活性化するチャンスがあります。介護職の人材問題は、本当に深刻ですが、今こそ業界としての仕事の在り方を問うときが来ているのではないかと現場にいて感じています。医療・介護は人財が全てと言っても過言ではありません。

 

③ブレイクスルー療法士になる

毎年多くの資格者が排出されるということは、それだけこの仕事に魅力があるということです。

この仕事は、明らかに、元気な高齢化社会を生み出す可能性を持っています。ブレイクスルー療法士になって、経済的自立を成し遂げます。

 

これら3つのミッション、正直どれも抽象的です。

 

しかし、これらを具体化してくためのレールを僕は既に準備しています。

 

後は行動に移すだけですね。

 

悲劇は見方を変えれば喜劇である。

 

正に鏡のような存在ですね。

 

事実は一つだが、解釈は無数にある。

 

今日も読んでいただきありがとうございました。