悲劇を喜劇にかえるブログ

「心と体の健康」について医療・介護での仕事、ビジネス、自身の心と体のデトックスの経験などから情報発信していきます。

他人を変えるよりも自分を変えてみよう

皆さん、おはようございます。『悲劇を喜劇に変えるブログ』の管理人シマダマサヒロです。

今日も、記事を発信していきますよー。

 

1.他人に原因を求めているとき

皆さんは、仕事でもプライベートでも何かトラブルが起こったときに、他人に原因を求めたりすることってありますか?

 

おそらくあるのではないかと思います。

 

そう言っている僕も正直あります。

 

なぜかというと

 

自分を否定されたくない。

 

自分が責められるのが嫌だ。

 

そう思っているからです。

 

でも、不思議と他人に原因を求めて、他人を変えようとしても、結局何も変わらないことって多いですよね。

 

僕も、以前に勤務していた介護老人保健施設で業務改善をするためのプロジェクトに参加していたとき、そのプロジェクトを任されていたリーダーがチームの思っていたように動いてくれていませんでした。よくあるパターンで、「◯◯をやる」と口で言っておきながら、その通り動いていないという状況でした。

 

そんなとき、僕もそうでしたが、

 

「もっと△△してください。◯◯をやるって言ったじゃないですか?」

 

とよく言葉にしがちですよね。

 

でも、それをリーダーに求めても、結局何も変わりませんでした。

 

 

2.他人に原因を求めているとき自分にもできることがある

上記の老健での業務改善プロジェクトに関して結局うまくいきませんでした。

 

その当時の僕はリーダーに原因があると思っていましたし、上層部の方もそう解釈していました。

 

でも、今考えてみると、あのとき自分にもできることがあったのではないかと思います。

 

それは一言でいうと

 

「リーダー、もっと⬜︎⬜︎を私がやっていきましょうか。」

 

といった、フォローする立場をとるという在り方ですね。

 

職場でも会議のときに、出された意見に対して、よく批判をするスタッフ見かけますよね。

 

でも、、、その人って何もしていないんですね。

 

他人に原因を求めたりしているとき、大抵の場合、自分は何もしていないことが多いです。

 

そんなとき、自分にできることはないだろうか?

 

視点を変えてみて行動してみる。

 

そうすると、プロジェクトは、良い方向に進むことが多いのではないでしょうか。

 

もし、自分の部署に部下がいたとき

 

「もっと、◯◯してください。」と言っている部下と

「私が⬜︎⬜︎しておきましょうか。」と言っている部下

 

どちらの部下と仕事しやすいですか?

 

もちろん、後者の方ですよね。

 

他人に原因を求めて自分は何もせず結局うまくいかないことが『悲劇』であれば、

自分が変わり行動することでうまくいくことが『喜劇』

 

他人を変えるよりも自分を変えて行動してみよう

 

今日も最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

自由を手にするということ

皆さん、おはようございます。『悲劇を喜劇に変えるブログ』の管理人シマダマサヒロです。

今日も、記事を発信していきますよー。

1.自由とは?

皆さんは「自由」になりたいと思ったことはありますか?

もしくは、今「自由」と思っているでしょうか?

 

先日、私が勤務している介護老人保健施設の事務長と数名の職員で飲んでいたのですが、そのとき、こんな話題が出ました。

 

自由ってなんだろうね?

 

産休であるけれど、3人の子供を育てなければならず、自由な時間がない。

 

あの人は、管理で責任を負わされていて、まるで自由がない。

 

かたや、あの人は、パートで働いていて、しかもそれ以外の日は、自分で好きなことを事業にしてやっていて、正に自由だ。

 

自由というと、皆様は「自分の時間がある」ことを思い浮かべるのではないかと思います。

 

僕も忙しくて時間に追われているときって、自由がないなと感じてしまいます。

 

2.自由はその人の心の次第

でも、事務長との飲み会で話していて出た結論というのは

 

自由ってその人の心の問題だよね。

 

ということでした。

 

時間があることが決して自由ではないんですね。

 

どういうことかというと、子育てをしていても、管理職や経営者をしていても、自分で人生を選択することってできると考えます。

 

かたや、自由に使える時間があったとしても、何をしていいのかわからずぼーっとしたりしていると、それは自由ではないと考えます。

 

僕は、今からちょうど2年前は、今の仕事を週4日、非常勤でやっていたので、残りの週3日は自由に使える時間がありました。

でも、心は自由ではありませんでした。

 

なぜならば、何をしていいのか、わからずさ迷っていたからです。

 

仕事をしたくなくて、自由な時間が欲しくて、給料を下げてまでも時間を手にしたのに、何かをしなきゃと、追われていました。

 

でも、今は、正社員として働いており、休みの日も予定が入り、とても忙しいですが、

 

心の中は自由です。

 

なぜならば、人からではなく、自分で自分の人生を選択しているからです。

 

自分で決めること

 

それは、責任を伴いますが、同時に自由を手にすることができます。

 

 

何をしていいのかわからず、心の自由がないことが『悲劇』であれば、

忙しいけど自分で人生を選択している、心の自由を得ていることが『喜劇』

 

時間の自由も大切ですが、何よりも自分で選択して「心の自由」を手に入れよう。

 

今日も最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

ゴールを決めたら最後まで諦めないこと

皆さん、こんばんは。『悲劇を喜劇に変えるブログ』の管理人シマダマサヒロです。

今日も、記事を発信していきますよー。

 

1.フルマラソン完走しました

私事ですが、先日、福岡県の久留米市で行われた「筑後川フルマラソン」に出場し、完走しました。

 

フルマラソンといえば、42.195kmの距離があります。車でも30分以上はかかりますよね。今回完走するのに私は、5時間46分かかりました。とてもなが~い道のりでした。

 

途中、30kmあたりからが物凄く息切れと筋疲労に襲われてしまいます。しかも、今回練習不足でしたので、4月のフルマラソンよりも酷かったです。

 

前回の完走タイムが5時間11分でしたが、30km超えた地点で、ほぼ記録更新はできないと思ってしまいました。

 

筋肉痛も増してきている状況で、もう走るのをやめようかなと思ってしまい、気力をなくしてしまいがちでしたが、ここで踏ん張って何とか完走しようと最後まで諦めませんでした。

 

また、35km越えたあたりから、僕と同じ位置にいたランナーの人が、自分のペースを守り一生懸命走っている姿をみて、勇気づけられました。だから、僕も40kmあたりから、歩くのをやめて、ゴールまで走り続けることができました。

 

2.最後まで諦めないこと、一緒の仲間がいることで必ずゴールに辿り着く

僕が今回のフルマラソンを完走して感じたことは、

 

一回ゴールを決めれば、例えどんな問題・障害が立ちはだかろうと、辿りつけること

それは、途中休んだりしても構わないけど、途中でやめないこと

 

もう一つは、一緒に頑張っている仲間がいること

 

今回、たまたま一緒に走っていたランナーは知り合いではなかったのですが、同じ苦しい想いをしながら、同じゴールを目指している仲間であること

 

仲間がいることで、励まされ、力が倍増されました。

 

まだ若干32歳の私が言うのもなんですが、人生も同じなのかもしれません。

仕事においても、家庭においても

 

何らかのゴールを決めたら

どんな障害が起きても、途中でやめないこと

 

そして、一緒に切磋琢磨しあう仲間がいること

 

人生は短距離走ではなく、長距離走なんですね。

 

今回、完走してみて、そんなことを感じました。

 

しんどいと思って途中でやめてしまう中途半端さが『悲劇』であれば、

どんな形でもゴールまで辿り着くことが『喜劇』

 

人生決めたら何とかしてその場所に行ってみよう。

 

今回も最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

誰から指摘されてもまずはやってみよう

皆さん、こんばんは。『悲劇を喜劇に変えるブログ』の管理人シマダマサヒロです。

今日も、記事を発信していきますよー。

 

1.他人から指摘を受けた場合

皆さんは、仕事やプライベートで他人から指摘を受けることってあるのではないかと思います。

それは、仕事でいえは会社の上司や同僚、部下から指摘を受けることになりますし、プライベートでは奥さんや両親、子供かもしれません。

 

では他人から指摘を受けたときどう対応しますか?

 

指摘を受ける相手が会社の上司であれば、これは直さないと会社の評価に直結すると感じて、すぐに指摘された通りに行動するのではないかと思います。

 

それが、もし後輩や、同僚、家族だったりしたらどうでしょう?

 

確かにそうだけど、自分の中では別に直さなくてもいいと思っているからそのままにしておこう。

あるいは、自分がやっていることが正しいと思っているから、聞くだけ聞いといてあとは流しておこう。

 

こんなことを一瞬でも心の中で思ってしまうことってないでしょうか?

 

僕も正直あります。

 

指摘を受ける相手によって、態度や行動が随分変わってしまうものですよね。

 

2.指摘を受けたことをとりあえずやってみた

僕が、ある回復期の病院に勤務していたときにこういったエピソードがありました。

 

僕が公休の日に、担当させて頂いていた利用者様の理学療法業務を、1年下の後輩が代行してくれました。

 

次の日に、その後輩から

「シマダさん。◯◯さんの理学療法、もっと△△の治療を行った方が良いですよ。」

と指摘されました。

 

僕は、正直な話「偉そうに。」と思ってしまいました。

 

でも、そこを我慢して、「わかった。やってみるよ。」と返答しました。

 

後輩の言う通りにやってみて、実際その患者様の治療効果が出ました。後輩の言っていることは正しかったのです。

 

僕は、そのとき「後輩に負けちゃったな。」と思って落ち込んでしまいました。

 

しかし、そこを何とか堪えて、後輩に

「◯◯さんに△△の治療を行ったら良くなったよ。ありがとう。」

とお礼を言いました。

 

すると後輩はとても喜んでくれて、その後、僕と後輩の人間関係はますます向上していったのです。

3.指摘を受けることは決して否定されることではない

指摘を受けるとなると、自分を否定されたんだと思って、落ち込んでしまうことってあると思います。

 

特に、同僚や後輩、友人などから言われた場合は、自分自身のプライドに泥を塗られたと思ってしまうこともあるでしょう。

 

だから、感情的になって指摘されたないようが冷静に受け入れられないこともあるでしょう。

 

しかし、指摘をした人は、相手に対して

 

変わってほしい

改善してほしい

良くなってほしい

 

と思っている言っていることもあるのです。

 

上記のエピソードでも、指摘をしてくれた後輩は、患者様に良くなってほしいという想いがあったからです。

 

だから、指摘する=相手を否定する

 

ではないのです。

 

もちろん、相手を否定し、自分を正当化するために指摘する人もいるかもしれません。

 

僕の場合、そう感じととったら、間に受けずに聞き流してしまいます。

 

ただ、誰から指摘されても、その内容を冷静に受け取り、行動することで、相手にも喜びを与え、人間関係が向上する可能性が高まるのではないかと思っています。

 

なぜならば、指摘したことをやってくれたら、自分はその人の役に立っていると感じるからです。

 

他人からの指摘に感情的になり、流してしまうことが「悲劇」であれば、

それを冷静に受け止め、行動し、人間関係がより向上していくことが「喜劇」

 

誰から指摘されてもまずはやってみよう。

 

今日も最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

組織にコミットメント(所属)しているという自覚を持とう

皆さん、こんばんは。『悲劇を喜劇に変えるブログ』の管理人シマダマサヒロです。

今日も、記事を発信していきますよー。

 

1.もし直属の上司が自分より下の人だったら

皆さんは、会社の社員であるとき、直属の上司、特に、部署の課長や係長、主任といった管理職の人が年下や自分よりも仕事上でのキャリア(経験年数)が低い人だったことってありますか?

 

そんなことってあるのと言われる方もいらっしゃるかもしれません。

 

でも、私が仕事している医療・介護業界では、珍しくないのです。

 

なぜかというと、特に女性に多いんですが、看護師、介護士、理学療法士作業療法士どの資格職など、経験年数が長い人は、子育てなど、家庭との両立のために非常勤(パート)として働いている人が多く、その方は管理職にならないことが多いからです。

 

ということは、比較的経験年数が浅い人でも、正社員としての上司がその職場に存在しなければ、そのまま、自動的に管理職になる傾向にあるのです。

 

また、医師・看護師などの資格を持っていれば、転職しやすい業界でもあるため、2~3年で職場を変わるとなると、経験年数が多くて正社員になったとしても、経験年数が低い人がその職場での勤続年数が長ければ、その人が管理職になることもあるのです。

 

その是非に関しては、この場ではあえて述べませんが、もし仮に直属の管理職や上司が自分よりも経験年数が下だった場合、あなたはどのような在り方でその上司(管理職)に接しますか?

 

2.経験年数が上だけで。。。。

僕も過去、このような状況に置かれたことがあります。

 

ちょうど、僕がある介護老人保健施設に勤務していたとき、僕よりも経験年数が低い方が主任でした。僕はその人よりも後に入職したので、そのような組織になってしまいました。

 

僕は、経験年数が高かったため、それなりのプライドを持って接していました。

 

あろうことか、僕はその人のことを主任と言わず「◯◯さん」と言っていました。

 

別にその人との関係性がうまくいっていないわけではなかったのですが、僕はその人が部署の会議などで、僕と考えが違うことを言っていると、

 

「何言っているんですか?それは、ちょっと違うんじゃないですか?」

 

なんて、心の中で思ってしまっていました。

 

それが、態度にも出てしまっていましたね。

 

だから、自然とその主任も経験年数が上である僕に気を使ってしまい、あまりコミュニケーションをとらなくなってしまっていました。

 

そして、僕はあることに気がつきました。

 

自分はこの組織で仕事しているという自覚がない。

 

すなわち、たかが経験年数が上というだけで、主任に対して僕が上だという態度をとるということは、その主任の元で働いている自分を否定していることだ、ということに気がついたのです。

 

だから、振り返るとそのときの自分って随分仕事が雑になっていたなと感じています。

 

3.組織にコミットするということ

それにか気がついて以降、僕はその主任のもとで仕事をしている(コミットしている)という自覚を持ちました。

 

まず、その上司に対して「◯◯主任」というようになりました。

 

そして、尊敬の念を持って接するようになりました。

 

僕なりの尊敬の念とは、

 

・僕はその主任のおかげで今のポジションで仕事をさせて頂いている

・主任は、その部署の責任を引き受けてくださっている

 

ということです。

 

それ以降、僕はその主任とコミュニケーションがとれるようになりました。

 

そして、仕事も捗るようになり、僕に対する評価も高くなりました。

 

僕らのような医療資格職は、職人気質なところもあり、その仕事の経験年数が高いというだけで、プライドを持ってしまいがちです。

 

決して、それが悪いということではありません。

 

ただ、それが在り方によっては、組織にコミットするという点では、大きな荷物になってしまうこともあるのではないかと考えます。

 

経験年数の高さは、主任の間違いを問題視するのではなく、むしろ右腕的な存在となって、リーダーをフォローするという立場をとる。

 

それが、経験年数が高い人なりの、組織にコミットメントするという在り方なのではないかと思います。

 

リーダーやその組織にいる自分を否定し、評価を下げてしまうことが「悲劇」ならば、

リーダーを尊敬し、その組織人という自覚を持ち、喜びをもって働くことが「喜劇」

 

組織にコミットメントしているという自覚を持ち、その中で自分にできることは何か考え行動していこう。

 

本日、最後までお読み頂きありがとうございました。

他人事ではなく自分事として生きる

皆さん、こんばんは。『悲劇を喜劇に変えるブログ』の管理人シマダマサヒロです。

今日も、記事を発信していきますよー。

 

1.他人事として生きているときって

皆さんは、他人事として生きているときってないでしょうか?

 

僕は、よくあります。

 

例えば仕事でも何か部署にておいて、新しいプロジェクトとやるときに、あまり意見をださずによくその場を凌いでいこうとします。

 

なぜ、そんなことをしてしまうのか。

 

1つは、自分が意見を言って他人から批判されるのが怖いからです。

 

もう一つは、自分が意見が仮に通って、自分がそのプロジェクトのリーダーになった場合、失敗して上司や同僚に批判されるのが怖いからです。

 

これは、僕だけでなく、殆どの人がそんな経験があるのではないかと思います。

 

しかし、他人事として生きているときって、実は非常にもったいないことをしているって気づきました。

 

それは、経験する機会を失っていることです。

 

仕事のプロジェクトでいえば、

 

自分の意見を述べることによって、他人からの批判を含めて、新たな気づきを得る機会ができます。

反対に自分の意見を述べなければ、その機会すらも失ってしまいます。

 

また、自分の意見が通って、そのプロジェクトのリーダーになることで、組織を動かすという経験ができる。それがうまくいけば上司にも評価される。これは、例え失敗したとしてもそうです。

 

反対に何も言わなければ、リーダーになる機会すらも失ってしまいます。

 

誰だって、失敗したり、批判をされるのは怖いですよね。僕も物凄く怖いです。

 

だから、仕事でも中間管理職って誰もなりたがらないですよね。

 

部下や上司から責任を追及される標的になりがちです。

 

2.自分事として生きているときって

逆に自分ごととして捉えて何か行動されたことってありますか?

 

人前で意見を述べたり、話したりするの苦手な僕ですが、それでも何かプロジェクトのリーダーを任されたりすることもありました。頼まれやすい性格なので(笑)

 

例えば、社員旅行の幹事や、登山の隊長など。

 

もちろん、計画・実行していく上で批判されたこともありました。

 

ただ、そうではなく、チームの人が助けてくれたこともありました。

 

チームの人が助けてくれるときって、どんなときでしょうか?

 

それは、

 

自らが真剣になってやっているとき

 

ですね。

 

僕は、以前に登山仲間5名で、槍ヶ岳登山を企画を務めたことがありました。

 

槍ヶ岳というと、滑落など登山事故が多いことで有名な山ですから、事故にあってはならないと思って、綿密に登山計画を準備していきました。

 

そうすると、過密スケジュールだったにも関わらず、4名の登山仲間の方が、当日色々と助けてくれて、無事に、予定通り帰ってくることができたんですね。

 

この時は、とても感動しました。

 

リーダーの僕だけでなく、他の4名の登山仲間も自分事として真剣になっていたってことですね。

 

3.他人事と自分事の違い

自分事と他人事の違い極端に言うと

 

自分事は、自らがやりたくて本気になってやっているとき

他人事は、何かやらされている感がするとき

 

不思議なことに自らが真剣になってやっているときは、

 

チームや部署にもそれが伝染し、リーダーでなくても自分事として取り組んでくれます。

 

だから、リーダーに協力しようしたり助言しようとする姿勢が生まれてきます。

 

逆に何かやらされている感だったりしてるときって

 

部署だったり、チームの皆さんも、伝染してやらされている感になり、

 

まるで他人事のようにリーダーを批判します。

 

これって非常にもったいないことですね。

 

批判される人も、批判する人も。

 

だから、何事も今ここに、自分事として取り組むことが、未来へと繋がる

 

今置かれている自分の状況からそう感じています。

 

批判ばかりして他人事として生きることが「悲劇」であれば、

自らが発信源となり、自分事として真剣に取り組むことが「喜劇」

 

他人事ではなく、自分事として生きていこう。

 

今日も読んでいただきありがとうございました。

 

人の話を聞くときって

皆さん、こんばんは。『悲劇を喜劇に変えるブログ』の管理人シマダマサヒロです。

今日も、記事を発信していきますよー。

 

皆さんは、仕事や普段の生活の中で、人から聞いた話をどのように受け止めているでしょうか?

 

①それをそのまま本当のこととして真に受けてしまう。

 

②そのことを一旦受け止めて、物事を自分で実際に確かめる。

 

③このひとの言うことは宛にならないから聞いたふりして、聞き流す。

 

私的には主にこの3つのパターンがあるのではないかと思います。

 

聞き方の理想としては、②の聞き方が一番良いですよね。

 

そうなんです。頭ではわかっているんです。ただ、過去の経験や体験などから①や③の聞き方をしてしまうこともありますよね。

 

例えば、以前私が勤務していた介護施設の職場でこういったエピーソドがありました。

 

僕と同僚のスタッフが僕にこんな事を言ってきました。

 

「シマダくん、ある部署の主任さんが他事業所の相談員に毎月FAXで送っていた利用者様の状況を書いた書類を今後は送らないようにするって言っていたよ。これってさあ、ぜったいまずいよね。」

 

確かに、このスタッフがまずいと言っている意味も理解できます。なぜならば、事業所ごとで連携をとってケアを行っていく上で、他の事業所に何らかの形で、利用者様の情報提供することは重要だという通念がある中で、今後情報を送らないのはそれに反しているからです。

 

ただ、僕がこの事を真に受けてしまう、つまり①を選択していたら、あの主任は良くないことをしていると勝手な思い込みをしていたでしょう。

 

しかし、このとき僕は②の選択をしました。なぜならば、主任も情報提供することの重要性をわかっている中で、情報を送らないという選択をした可能性があるとしたら、主任もそれなりの考えがあったからだと思うからです。

 

そして、実際に主任になぜ情報を送らないようにしたのか、理由を聞きに行きました。

 

主任の返答は

「一回情報提供を送ったときに、相手側の事業所から、変化のない利用者様に毎月送らなくても大丈夫だと言われました。なので、プランの変更があったときや、3ヶ月に一回情報を送ることにしました。」

 

と言った内容でした。

 

②の選択をしたことにより、又聞きしただけではわからなかった事実が明確になりました。その話を聞いて僕はなぜ主任がそのような考えに至ったのか理解できました。

 

その事が妥当なのかどうかは別なのかもしれません。

 

ただ、②の選択することで、より事実が鮮明になるし、相手に対する偏見もなくなります。

 

即ち、双方の意見を聞くことです。

 

もちろん、その上で反対意見があるのであれば、そこで主張すればいいと思うのですが、その前に事実関係やお互いの考え方、価値観を踏まえることが大事ですね。

 

人が言ったことを全く信用しない③の選択は、まったくお互いの信頼関係が成り立っていない証拠になるのですが、例えそうであったとしても、まずはその人の話を聞いて見る心の広さが大切かなと感じます。

 

人から聞いた話は、往々にして、話す人も、聞く人も自分の価値観に当てはめてしまいがちです。

 

だた、そこを手放して、聞く姿勢を持つことで、新しい事実を発見したり、新しい人間関係を構築していけるのではないかと思います。

 

人から聞いた話を鵜呑みにしたり、聞く耳を持たないことが「悲劇」であれば、

人から聞いた話を一旦受け止めて自分で確かめ、新しい事実や関係性を発見することが「喜劇」

 

人の話をその人や自分の価値観と切り離して聞いてみよう。

 

今日も読んでいただきありがとうございました。