悲劇を喜劇にかえるブログ

「心と体の健康」について医療・介護での仕事、ビジネス、自身の心と体のデトックスの経験などから情報発信していきます。

怒られることの解釈

皆さん、こんにちは。『悲劇を喜劇に変えるブログ』の管理人シマダマサヒロです。

2月も後半に入り、「2月は逃げる」といった感じで、もう3月が来そうですが、今日もパワフルに発信していきますよー。

よろしくお願い致します。

 

1.怒られること

皆さんは、最近、誰かに怒られたり、注意されたりしたことはありますか?

 

僕は職場が変わり、ようやく慣れてきたところですが、同じリハビリテーションの仕事でも

その法人や事業所によって、考え方や大切にしているものが違うので、以前の職場での仕事の仕方では通用しないことに直面しています。

 

その影響もあるのでしょうか?僕は職場内で指摘を受けることが多いです。といっても基本的なことなんですけどね。。。。。。(ー ー;)

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怒られると落ち込んでしまいますが、よく考えてみると大人になって怒られることって少なくなりますよね。

 

特に、規律がそこまでに厳しくない会社に就職すると、そうなりがちです。

 

⒉怒られるときの解釈

上記に記したように怒られたときって、とても落ち込んでしまいますよね。

 

なぜ、落ち込むのでしょうか?

 

僕は、怒られたとき、

 

自分のことを否定されたと思ってしまいます。

 

否定された=承認されていない

 

と捉えてしまい、怒られる=自分はダメなんだ、と

 

自分がダメなんだという器になったとき、それは他の場面にも影響してきます。

 

本来、パワフルにできていた仕事にミスが出てしまったり、

 

プライベートも楽しく有意義に過ごせなかったり、など。

 

それって非常に勿体ないことですよね。

 

でも、最近僕の中で、怒られることに対する観点が変わっています。

 

それは、怒られる=自分が優秀だらから、という器です。

 

少し、言い過ぎかもしれませんが、これぐらい言っておきましょうか。笑

 

どういうことかと言いますと、つまり、「自分が次のレベルのことを教えられている」、という解釈です。

 

僕が最近行き続けているセミナーで、コーチからこの事を教えていただきました。

 

そして、正にそれを象徴することを先週職場で上司の人に言われました。

 

「嶋田さんは、リーダーだから、細かく厳しいことを言っているんだよ。」

 

そのとき、僕は怒られる、注意されることが本当に有難いことだと感じました。

 

叱ってくれる上司に感謝ですね。

 

3.「怒られる」は、気付きを与えてくれる

自分が今後成し遂げたいことがあったとき、どうしても壁にぶつかってしまいます。

 

そのとき、どう解釈するのか?

 

自分は、やっぱりだめだと思ってしまうのか?

 

それとも、これは自分に何か気付かせてくれるものがあるのか?

 

それには、冷静に見る謙虚さも必要ですね。

 

怒られる・注意されるというのも、そういうことなのかもしれません。

 

怒られることを「自己否定」と解釈し、その後の人生に悪い影響を及ぼしてしまうことが「悲劇」であれば

 

怒られることを「自己への気付」と解釈し、成し遂げたいことに対して更に進んでいけるパワーを持つことが「喜劇」 

 

怒られることをバネにして突き進んでいこう。

 

今日も最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

一時が万事

皆さん、こんにちは。『悲劇を喜劇に変えるブログ』の管理人シマダマサヒロです。

少し出遅れた2017年2月最初の投稿になりますが、今月も元気良く発信していきますよー。

よろしくお願い致します。

 

1.よくある僕の変わった個性

突然ですが、僕はよく忘れ物をしていまいます。

 

それは、どんなときかと言いますと、

 

例えば、財布をロッカーの上に置いていて、そのままにして帰ってしまうこと

 

朝、水筒を台所に準備していたのに、いざ出かけるときにそれを忘れてしまうこと

 

バスの定期券をどこのポケットに入れたのか忘れてしまい、降りる停留所になったら慌ててポケットを探してしまうこと

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まあ、共通する部分というのは、自分の視野に物がなかった場合、何かをやることに気を取られてしまうと、つい忘れてしまうということでしょうか。。。。

 

もうひとつは、間が鈍いってところがあります。

 

それは、どんなときかと言いますと、

 

例えば、電気が消えているけど、平気でデスクワークをしてしまうこと

 

多少コップが綺麗に洗われていなくても、平気でそれを使って飲み物を注いでしまうこと

 

2.仕事のときでも同じことが

上記の具体的な事例に関しては、僕のプライベートのことですから、まあやってしまったとしても、自分以外の誰にも迷惑することはありません。

 

しかし、これが仕事で出てしまうと、、、、

 

他人に影響を及ぼしていまうこともありますよね。

 

以前、仕事上で使っているメモ帳を置きっぱなしにしていることがありました。

 

上記の例でいったら、財布をロッカーにの上に置いていて、そのままにして帰ったことに当てはまります。

 

そのとき、上司から厳格に注意されました。

まあ、当たり前のことですよね。

 

もう一つ、私は理学療法士の仕事をしているのですが、利用者様が玄関にこられたときでも、電気を付けずに、そのまま迎えに行ってしまいました。

 

上記の例でいったら、電気が消えているけど、平気でデスクワークしてしまうことに当てはまります。

 

そのときも、上司から厳格に注意されました。

 

これも、当たり前のことですよね。

 

僕は日頃やっていることは、仕事でもやってしまいます。

 

でも、人によっては、仕事は仕事、プライベートはプライベートと分けれるかもしれません。

 

でも、僕は正直もの(笑)でして、なかなかそういう器用なことはできないんですね。。。

 

3.一時が万事

上記の話は、結構細かなことですが、大きな枠組みで考えた場合こうとも言えるのではないでしょうか?

 

仕事も充実している人は、プライベートも充実している。

 

逆に、仕事が退屈な人は、プライベートも退屈している。

 

何となくセミナーに通っている人は、仕事も何となくやっている。

 

正に一時が万事ですね。

 

僕は、この一ヶ月で気づいたことがあります。

 

それは、『○○でやっていることは、○○でもやっている』ということです。

 

自分を探求していると、自分のあらゆる共通した特徴というものに気がついてきます。

 

それを一気に直す、変えることは難しいかもしれませんが、

 

気づいただけでもとても大きなことですよね。

 

『一時が万事』に気づかず、同じことを繰り返してしまうことが『悲劇』であれば、

それに気づき、行動を変える一歩を踏み出せることが『喜劇』

 

人生は『一時が万事』、今このときを大事にしていこう。

 

今日も最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

 

 

 

 

地方は素晴らしい

皆さん、こんばんは。『悲劇を喜劇に変えるブログ』の管理人シマダマサヒロです。

2017年1月最後の日になりましたが、気を抜かずに発信していきますよー。

よろしくお願い致します。

 

1.東北セラピストミーティング

私事ですが、先日、福島県郡山市で行われた東北地方の有志を持った理学療法士作業療法士が集まるセラピストミーティングに参加してきました。

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京都在住の私がなぜそのようなところに行ったのかといいますと、、、、

 

毎月、Skypeにてコーチングセッションを受けている株式会社メディケアソリューション代表取締役である「鯨岡栄一郎」先生にご挨拶させて頂く目的と、

 

私が日頃からフェイスブックやブログなどのWebメディアにてよく、東北のセラピストの方々を拝見していたからです。

 

だから、是非ともお話を聴きに行きたい。

 

そう思って前日から夜行バスに乗って、福島入りしました。

 

鯨岡先生を始め、前でお話されていた先生方のお話とても素晴らしかったです。

 

そして、その後の懇親会で、前で講演されていた先生方以外でも、自分で起業して、やりたいことをやっていたり、病院や施設で組織のためにリーダーシップを発揮しているセラピストの方々とお話ができました。

 

 

2.参加して感じたこと

あくまで僕の個人的な印象ですが、東北って地方なのになんか熱い!!

 

これは、東北の人にとってちょっと失礼な言い方かもしれませんね(笑)

 

でも、本当にそう感じたのです。

 

それは、なぜか、、、、。

 

僕が地方に対しての偏見があったからです。

 

僕の出身地は、福岡県大牟田市です。

 

大牟田市は、人口11万人ほどであり、田舎?と言われています。

僕は、約3年前、この街には可能性がないと思っていました。

 

可能性がないとは?

 

かつての主力産業であった炭鉱は閉山し、今はもうない。

 

人口が減少している。

 

若者が少ない。

 

面白いことをしている人が少ない。

 

だから関西に引っ越してきたのです。

 

僕の中では、都市部が良い、地方はダメだ。

 

完全にそう思い込んでいたのかもしれません。

 

自分は、もっといろんな可能性があるから、場所を変えたらきっと変われると思って京都に引っ越してきました。

 

でも、変わりませんでした。

 

そこで、気付いたことは、自分次第なんだなと。

 

3.地方の可能性

今回の東北のセラピストの方々を見て強く確信したことがあります。

 

それは、地方でも自分らしく幸せで、楽しい人生を送れるんだなと。

 

ということは、自分の出身地である福岡県大牟田市でも、自分らしく幸せで、楽しい人生が送れるんだなと。

 

それは、正に自分次第である。

 

あ、、、でも今すぐ戻りませんよ(笑)

 

今は、京都でしっかりと目の前にやるべきことがありますので、それをしっかりとやっていきます。

 

しかし、

 

地元に貢献すること

 

私にとって「東北セラピストミーティング」は、その可能性をしっかりと確認できたと思っています。

 

地方に対して偏見をもち、可能性がないと決めつけてしまうことが『悲劇』であれば、

全ては自分次第という立場をとり、地方への可能性を作り出していくことが『喜劇』

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地元への愛情をもち、幸せを作り出すために貢献していこう。

 

今日も最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

経験こそ価値

皆さん、こんばんは。『悲劇を喜劇に変えるブログ』の管理人シマダマサヒロです。

2017年も1ヶ月が達とうとしていますね。

まだまだ寒さは続きますが、今日も記事を発信していきますよー!

よろしくお願い致します。

 

1.自分の価値について

皆さんは、「自分の価値は何ですか?」「自分にしかないものは何ですか?」と言われたときに、答えることができますか?

 

これは、僕もそうなんですが、意外とすぐに答えることができない人もいるではないのでしょうか?

 

なぜならば、人は日頃から自分のことを見ようとしないからかもしれません。

 

自分のことは見えないけど、他人のことはつい見えてしまいますよね。

 

そして、その部分だけをみて比較していまいます。

 

比較して、劣っていると感じた場合、つい自分はダメだ、惨めだと思ってしまいます。

 

例えば、僕はリハビリテーションの仕事をしているのですが、僕の同僚の人が

 

自分よりも知識が豊富

 

自分よりも技術が上

 

自分よりも患者様や上司に信頼されている

 

となると、それで自分はダメなんだなと思ってしまいます。

 

そういうことが、人生の色んな場面で起こると、自分の価値がわからなくなってしまいます。

 

2.自分の経験について

僕は、今まで自分の価値というのは、

 

資格を持っている、

 

実績がある、

 

いい学校を出ている、

 

など肩書き的なものだと思っていました。

 

でも最近になってちょっと違うと思い始めました。

 

それは、自分の経験だなと。

 

何も、成功したという経験だけではありません。

 

僕なんかは、

 

職場を幾つも変わっている。

 

キリマンジャロに挑戦したけど、高山病にかかって、リタイヤした。

 

カフェ起業に携わったけど、うまくいかなかった。

 

こんな経験しかありませんが、でもその中で得たことはあります。

 

これが価値だと思います。

 

逆に言えば、

 

『ずっと、サラリーマンで同じ会社に10年以上勤めている。』

 

それも、大きな価値です。

 

3.経験をデザインする

僕もそういうときがありますが、

 

自分の経験について

 

これは、価値ではない

 

こんなことを価値だなんて言えない

 

と心のどこかで思っています。

 

最近では、どの経験が良くて、どの経験が悪い、なんていうのもないのかなと思います。

 

どんな経験でも、価値であり、それをデザインすること

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これが大事だと感じています。

 

自分の経験を否定し、価値を失ってしまうことが『悲劇』であれば、

自分の経験を価値にして、生かしていくことが『喜劇』

 

経験をデザインし、価値として表現していこう。

 

今日も最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

人と繋がること

皆さん、こんにちは。『悲劇を喜劇に変えるブログ』の管理人シマダマサヒロです。

今日も、記事を発信していきますよー。

よろしくお願い致します。

 

1.人と会うとき

皆さんは、初めて会う人と挨拶したり、会話したりするときとても緊張しますでしょうか?

 

僕は、とてもする方です。

 

相手と目があったりなどして、相手の人が話しかけてもよいとわかった場合にやっと挨拶や話しかけたりしますが、、、

 

もし、そうではない場合

 

相手が目をそらしていたり

 

無表情だったり

 

と、こちらが判断した場合には、相手から話しかけられるのを待っているタイプです。

 

だから、僕はよく他人から

 

人見知りだ

 

ポーカーフェイスだ

 

と言われてしまいます。

 

2.知り合いになるとき

僕は人見知りと言われるのですが、本当はそんな風にしたくないのに、なぜそのようにしてしまうのでしょうか?

 

それは、ある意味自分を守っているのかもしれません。

 

何を守っているのか。

 

話しかけて、

 

相手を不愉快に思わせてしまうかもしれない。

 

自分の容姿など、相手から何かしら評価をされてしまうのかもしれない。

そんなことを守っているのだと思います。

 

でも、それは同時に失っていることもあります。

 

それは、相手と何かしらの知り合い、つまりご縁があるかもしれないという可能性です。

 

恋人かもしれない

 

大親友かもしれない

 

ビジネスパートナーかもしれない

 

お客さんかもしれない

 

逆に自分が守っているものを手放して、たとえ相手の雰囲気がどうであろうとも気前よく話しかけてみることで、ご縁の可能性が出てきます。

 

そして、相手に話しかけるときに、

 

自分のことをなるべくオープンにする

 

自己表現豊かになる

 

これがとても大事だと最近感じています。

 

そうすることで、一見無表情に見える相手の人も心を開いてくれるかもしれません。

 

逆に、自分のことをオープンにしなければ、相手の人は無表情のままかもしれません。

 

でも、それは気前よく話しかけてみなければわかりません。

 

3.フェイスブックでの友達について

僕はフェイスブックをやっていますが、今まであまり自分から友達申請はしませんでした。

 

友達申請するとすれば、相手と必ず会ってから。

 

それも、相手の人から友達申請を頂くことが多いです。

 

つまり、人と繋がることに関して受け身だったということですね。

 

フェイスブックでの友達申請について、

 

必ず会ってから申請する

 

一言メッセージを送ってから、申請する

 

この人と繋がりたいと思ったら、とりあえず申請をする

 

どの方法が相手にとって失礼がないのか、それは人それぞれかもしれません。

 

しかし、心のどっかで僕は

 

人とつながって良いのだろうか。

 

僕なんて大した人物ではないけど、友達申請してよいのだろうか。

 

こんなことを考えていました。

 

しかし、それも自分の単なる思い込みだったことに最近気付きました。

 

やってみなければわからない。

 

その小さな一つの行動の積み重ねが何れ大きな違いを作るかもしれない。

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そう思って、これからの僕は人と繋がることを喜びに変えていきます。

 

人と繋がることを恐れて自分を守ることが『悲劇』であれば、

人と積極的につながって、ご縁を生かし、感謝することが『喜劇』

 

自己表現豊かにし色んな人と繋がろう。

 

今日も最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

壁に直面したとき

皆さん、こんにちは。『悲劇を喜劇に変えるブログ』の管理人シマダマサヒロです。

今日も、記事を発信していきますよー。

よろしくお願い致します。

 

1.壁が訪れたとき

突然ですが、皆さんは今までで壁にぶち当たったことはありませんでしたか?

 

そして、その壁が訪れたとき、それを乗り越えてきたでしょうか?

 

それとも、途中で投げ出して逃げ出してしまったでしょうか?

 

僕は、どちらかというと途中で逃げ出してしまうタイプでした。

 

それはなぜなのか?

 

弱い自分を見せたくなかったから、、、、、。

 

責任を取りたくなかったから、、、、、。

 

でも、壁から逃げ出すことで何とか生きてきたのも事実です。

 

だからどうしても楽な方法を選んでしまうのでしょう。

 

そして、それを正当化してしまいます。

 

2.壁は何度も訪れてくる

壁から逃げ出すことで、そのときは何とか生き延びることができます。

 

しかし、また不思議と同じ壁に直面するんですね。

 

また、壁から逃げたと思ったら、、、、

 

また、同じ壁に直面する。

 

キリがないですよね。

 

僕は、小学校の時、少林寺をやっていました。

 

少林寺では緑帯までいったのですが、、、

 

他の人より、下手くそで、先生に怒られたりして、途中で辞めてしまいました。

 

それ以来、先生に怒られるというのがトラウマになってしまいました。

 

怒られている=否定されている

 

というコンテクストになっていたのです。

 

同じことが高校生のときにも起きました。

 

最初は、中学の延長でハンドボール部に入っていましたが、ここでも顧問の先生に怒られることが多く、自分は否定されているのだと、自暴自棄になりわずか3ヶ月で辞めてしまいました。

 

その後、社会人になっても、同じことが起きては逃げるの繰り返しでした。

 

そして、今私は、同じ壁に直面しています。

 

でもこうやって書いていて整理してみると、過去とは明らかに違う自分が見えています。

 

それは、『同じ壁に直面している』と気づいていること

 

3.壁を突破してみる

壁が見えてきたら、それから逃げるのではなく、

 

『壁』があるなと気づいて

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そして、それをただ『壁』だと区別して、そのまま進んでみる。

 

上記の例でいったら

 

「怒られているの=否定されている」のは事実ではなく、

 

自分自身の作ったストーリーである。

 

「怒られている」それだけである。

 

それに反応する必要はありません。

 

壁を突破したとき、壁は出てこなくなります。

 

なぜなら、突破したら、今まで『壁』と思っていたものは、『壁』でなくなるから。

 

壁から逃げてしまい、同じ壁が繰り返し出てきてしまうことが『悲劇』であれば、

壁を突破し、それを壁だと感じなくなることが『喜劇』

 

『壁』だと、ただ区別して、突破し、新しい自分を創り出してみよう。

 

今日も最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

シェアしてみよう

皆さん、こんにちは。『悲劇を喜劇に変えるブログ』の管理人シマダマサヒロです。

今日も、記事を発信していきますよー。

よろしくお願い致します。

 

⒈『シェア』という言葉

皆さんは、最近『シェア』という言葉をよく聞くのではないでしょうか?

 

特に、ファイスブックを使われる方などは、友達やブログ、ネットの記事を「シェアしました」という言葉を目にするのではないかと思います。

 

『シェア』とはどんな意味でしょか?

 

シェア(share)をそのまま和訳すると、

①分けること、分配、分担

②共同でもつこと、共有

になります。

 

「シェアハウス」なんかは、共同で住む家ということで、とてもわかりやすい言葉ですよね。

 

フェイスブックでの「シェアしました」は、情報を共有するといった意味で使うと思います。

 

2.シェアすることの意味

シェアすることの意味とは何なのでしょうか?

 

僕は、以前は、シェアに対してものすごく抵抗がありました。

 

自分が持っている情報を他人に知られたくない。

 

こんなことを言うのは恥ずかしい。

 

こんなことを言うのはみっともない。

 

もし、言ったりしたら、批判されてしまう。

 

だから余計なことを言わないようにしよう。

 

つまり、自分を隠していました。自己表現していませんでした。

 

でも、それは同時に大きなことを失っていたことに気がつきました。

 

それは、他の人と分かち合う可能性。

 

自分のことをシェアしなかったら、

他の人にとって自分はどんな人なのかわかりません。

 

だから、僕は自分のことをあまり人にシェアしなかったため

 

「嶋田さんは、ちょっとわかりにくい。ポーカーフェイスだ。」

 

とよく言われていました。

 

正直な話、僕は友達がそれほど多くいませんでした。

 

自己表現していない理由としては、

 

自分なんて、、、、、

 

つまり自己承認できていなかったのかもしれません。

 

でも、一昨年、去年と色んな方からコーチを受けて、

 

自己表現すること、そしてシェアすることが自分にとって必要であり、

 

今の状態でそれをやってもいいんだ

 

それを掴みました。

 

シェアすること、、、、、

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それは、『自分をオープンにし、他人や未来との繋がりの可能性を開く事』

 

僕は、そう感じています。

 

3.シェアは何でもいい

僕は、自分のことをシェアする手段として、フェイスブックや、ブログを活用しています。

 

正直な話、投稿している内容は、決して、誰もが知らない特別な情報でもなく、小学生でも書ける内容だと思っています。

 

僕は、理学療法士という資格を持っており、その仕事に携わっていますが、

知識や技術に関して僕しか持っていない情報っておそらくほぼないに等しいと思います。

 

でも、少なくとも投稿することで、自分を色んな人に知っていただくことができます。

 

そして、そこから興味を持ってくれた人と繋がる可能性もあるかもしれません。

 

自分にしかないもの、、、、

 

それは、自分という人柄なのかもしれません。

 

自己表現をせず、繋がりの可能性を失ってしまうことが『悲劇』であれば、

シェアを積極的に行い、繋がりの可能性を広げていくことが『喜劇』

 

手放して、積極的にシェアしていこう。

 

今日も最後まで読んで頂きありがとうございました。