悲劇を喜劇にかえるブログ

「心と体の健康」について医療・介護での仕事、ビジネス、自身の心と体のデトックスの経験などから情報発信していきます。

◯◯しなければならない

皆さん、おはようございます。『悲劇を喜劇に変えるブログ』の管理人シマダマサヒロです。

 

今日は、5月最後の日曜日。京都市内の天気は最高に良いですね。

 

僕も朝から洗濯と、久しぶりに部屋の掃除済ませたところでした。( ^ω^ )

 

私は、今一人暮らしですので、基本的に炊事・洗濯など、家事のことは自分で管理しなければなりません。

 

さーて、この『◯◯しなければならない』という言葉、皆様よく使われると思います。

 

『◯◯しなければならない』は、英訳すると『must』

 

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つまり、『絶対』という意味です。

 

確かに、世の中『◯◯しなければならない』というのはたくさんありますよね。

 

例えば、

 

家賃の振込はいつまでにやらないといけない。

 

食事は、3食しっかりとらなければならない。

 

上司から任された◯◯の仕事をいつまでにしなければならない。

 

など。

 

でも、『◯◯しなければならない』という言葉どこか嫌な感じがしませんか?

 

僕もつい言ってしまうのですが、正直使いたくないです。

 

この言葉、すごく受け身な言葉だと感じているからです。

 

僕は、以前先輩と飲んでいたときに、

 

僕「別の仕事をするんだったら、今の仕事の時間を減らさないといけないですよね?」

 

先輩「嶋田君。『◯◯しなければならない』は自分で選択してないってことだよ。そうではなく、『◯◯したいか』だよ。」

 

親や上司に言われたから、、、

 

状況がそうであるから、、、

 

など、周りの人に責任を押し付けているような気がするのです。

 

つまり、自分で選択していないのです。

 

もちろん、地球、または日本というある決められた人間社会の中で生きているわけですから、法律や人間としての道徳的なことを守るのは、ある程度必要でしょう。

 

でも、今の現代社会って、あまりにも「◯◯しなければならい」ということに囚われているような気がするのです。

 

僕が、尊敬している成功している、つまり本当の自由というのを手に入れている諸先輩方の言葉を聞いてていると、、、

 

『◯◯しなければならない』

 

ではなく、

 

『◯◯する』

 

『◯◯したい』

 

これで、仕事も遊びもやっているんですね。

 

つまり、すべて自分で、自己責任で選択しています。

 

どんな環境や状況においても、自分で選択することによって自由な感じがしますよね。

 

『◯◯しなければならい』で、受け身になってしまうことが『悲劇』であれば

『◯◯したい』と主体的に選択することが『喜劇』

 

他人に人生を預けるのではなく、自分で人生の権力を握っていこう。

 

今日も最後まで読んで頂きありがとうございました。