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悲劇を喜劇に変えるブログ

日々の生活こそ大きな資産。1日1日良かったことに目を向け、嫌なこと悲しいことも喜びや笑いに変える。そんなこと発信していきます。

執着を手放そう

 

皆さん、こんばんは。

『悲劇を喜劇にかえるブログ』管理人のシマダマサヒロです。

今日も記事を発信していきますよー!

宜しくお願い致します。

 

1.執着しているとき

皆さんは、何か一つのことに囚われていて、執着していることってありますか?

僕は、よくあります。

 

例えば、

 

通勤のとき、バスの定期を忘れて「しまったー。」と落ち込んでいるとき

 

気になる女の子を食事に誘いたいけど、なかなか声をかけられないとき

 

大事なプレゼンを目の前にして、緊張し、日常業務に集中できないとき

 

何かトラブルがあって落ち込んでしまったとき

 

何か一つのことに囚われて、時間が経ってしまうときがあります。

 

2.知り合いとの登山での出来事

僕は、先日日頃から大変お世話になっている先輩と兵庫県にある六甲山に登りました。

 

当日は、物凄い雨で、登山道具はほぼ全て濡れていました。

 

リュックの中にある着替えはビニール袋で包んでいたので、濡れていないだろうと思っていたのですが、どうもリュックの隙間から雨水が入ったみたいで、着替えもシャツの袖の部分が濡れていました。

 

登山後に温泉に入り、脱衣室にて、濡れた着替えの袖の部分をドライヤーで乾かそうとしました。僕の知り合いの友人は、「ゆっくり乾かしておいで」と言ってくれたのですが、濡れた部分を乾かすだけで5分以上かかってしまいました。

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濡れた袖を乾かすのに時間をかける。これは、「濡れた袖に対する執着」だなと思いました。

 

⒊執着を手放すこと

何かに執着している。

 

それは、同時に何かを失っているのではないか。

 

上記の「濡れた袖に執着する」ことで言えば、

 

5分という貴重な時間を失っている。

 

相手を待たせてしまい、信頼関係を失っている。

 

その次への行動力(パワー)を失っている。

 

袖が濡れてしまうこと、それは確かに小さな不幸であります。しかし、それに囚われてしまうと、温泉の後の折角の乾杯や食事、先輩との会話が楽しめなくなります。

 

それは非常に勿体ないことですね。

 

この登山の例は、ほんの小さな出来事ですが、

 

人生において何か大きな出来事が起きた時、

 

その出来事に執着してしまい、代償として大きな可能性を失ってしまうこともあるかもしれません。

 

確かに出来事によっては、執着せざるを得ないかもしれません。

 

しかし、もしもそれを手放すことができたら

 

今まで見えなかった可能性を創造できるかもしれません。

 

因みに私は今そのトレーニングの真っ最中です(^ ^)

 

何かに囚われ、執着することが「悲劇」であれば

執着を手放し大きな可能性を創造することが「喜劇」

 

執着を空っぽにして大きく飛躍していこう。

 

今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。