待たされていると思ったときの解釈
皆さん、こんにちは。『悲劇を喜劇に変えるブログ』の管理人シマダマサヒロです。
今日も、記事を発信していきますよー。
よろしくお願い致します。
1.待たされているとき
日常生活の中で、待たされていることに対して「イライラしたりする」ことってないでしょうか?
僕は結構あるんですね。
約束の時間に相手が遅れてきて、待たされているとき
病院の診察が長くて待たされているとき
電車の時間が遅れてホームで待たされているとき
待たされているとき、
早く来いよー。
早く俺の診察回って来いよ。
早く電車来いよ。
いつまで、待たせるのか。待ち時間を教えてくれー。
そんな気持ちになってしまいます。
時間というのが、誰にでも与えられた貴重な資源とわかっているだけに、余計に落ち着かなくなってしまいます。
2.整骨院での出来事
僕は、月1~2回ペースで整骨院に通っているのですが、その整骨院は、県外からも訪れる人気の整骨院で、行くとだいたい1~2時間くらいかかってしまいます。整骨を受ける前に、手や機械を使ってケアを行っていくのですが、前の人がそれを受けていると、じっと座って待っていることも多いです。
僕はそれに対して、毎回、時計を見ながら「夕方遅いんだから、早く回って来いよ。」と思ってイライラしていました。
先日も、その整骨院に行ってきました。
いつものように待たされていたのですが、その時はあまりイライラしませんでした。
その時、僕は何を考えていたのか?
僕が待っているということは、他の人が施術を行っている時間を与えている。
つまり、僕は他人に貢献しているということだ。
3.貢献しているということ
待たされいることは、他人に貢献していることである。
それは、ちょっとお人好し過ぎではないですか?
確かに、そうかもしれません。
全てにおいて、それが当てはまるとは限らないかもしれないです。
ただ、待たされているとき、イライラしていてもどうしようもない。
相手だったり、環境だったり、状況だったり、
これらを変えようと思っても、変えられない。
そんなこと、あると思うのです。
そんなとき、
待たされている=他人に貢献している
これを頭に入れておくだけで、かなり落ち着くし、待っている間に、他に頭の中で何か考えたりすることもできると思うのです。
実際、整骨院で待たされていた時、僕はこのことを頭に入れておいたので、手帳を持って、明日の仕事のことや、今後の予定の整理をすることができました。
これ、もし僕がイライラしていたら、そんなこと考える余裕がなかったと思います。
逆に僕が他人を待たせることもあります。
そんなときは、その人が僕に時間を与えてくれている。
そのことに感謝ですね。
待たされているとき、自分のことだけを考えてイライラすることが「悲劇」であれば、
貢献していると解釈し、頭の中をすっきりできることが「喜劇」
生きていく上で、人に感謝し、貢献していこう。
本日も最後まで読んで頂きありがとうございました。