悲劇を喜劇にかえるブログ

「心と体の健康」について医療・介護での仕事、ビジネス、自身の心と体のデトックスの経験などから情報発信していきます。

経験こそ価値

皆さん、こんばんは。『悲劇を喜劇に変えるブログ』の管理人シマダマサヒロです。

2017年も1ヶ月が達とうとしていますね。

まだまだ寒さは続きますが、今日も記事を発信していきますよー!

よろしくお願い致します。

 

1.自分の価値について

皆さんは、「自分の価値は何ですか?」「自分にしかないものは何ですか?」と言われたときに、答えることができますか?

 

これは、僕もそうなんですが、意外とすぐに答えることができない人もいるではないのでしょうか?

 

なぜならば、人は日頃から自分のことを見ようとしないからかもしれません。

 

自分のことは見えないけど、他人のことはつい見えてしまいますよね。

 

そして、その部分だけをみて比較していまいます。

 

比較して、劣っていると感じた場合、つい自分はダメだ、惨めだと思ってしまいます。

 

例えば、僕はリハビリテーションの仕事をしているのですが、僕の同僚の人が

 

自分よりも知識が豊富

 

自分よりも技術が上

 

自分よりも患者様や上司に信頼されている

 

となると、それで自分はダメなんだなと思ってしまいます。

 

そういうことが、人生の色んな場面で起こると、自分の価値がわからなくなってしまいます。

 

2.自分の経験について

僕は、今まで自分の価値というのは、

 

資格を持っている、

 

実績がある、

 

いい学校を出ている、

 

など肩書き的なものだと思っていました。

 

でも最近になってちょっと違うと思い始めました。

 

それは、自分の経験だなと。

 

何も、成功したという経験だけではありません。

 

僕なんかは、

 

職場を幾つも変わっている。

 

キリマンジャロに挑戦したけど、高山病にかかって、リタイヤした。

 

カフェ起業に携わったけど、うまくいかなかった。

 

こんな経験しかありませんが、でもその中で得たことはあります。

 

これが価値だと思います。

 

逆に言えば、

 

『ずっと、サラリーマンで同じ会社に10年以上勤めている。』

 

それも、大きな価値です。

 

3.経験をデザインする

僕もそういうときがありますが、

 

自分の経験について

 

これは、価値ではない

 

こんなことを価値だなんて言えない

 

と心のどこかで思っています。

 

最近では、どの経験が良くて、どの経験が悪い、なんていうのもないのかなと思います。

 

どんな経験でも、価値であり、それをデザインすること

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これが大事だと感じています。

 

自分の経験を否定し、価値を失ってしまうことが『悲劇』であれば、

自分の経験を価値にして、生かしていくことが『喜劇』

 

経験をデザインし、価値として表現していこう。

 

今日も最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

人と繋がること

皆さん、こんにちは。『悲劇を喜劇に変えるブログ』の管理人シマダマサヒロです。

今日も、記事を発信していきますよー。

よろしくお願い致します。

 

1.人と会うとき

皆さんは、初めて会う人と挨拶したり、会話したりするときとても緊張しますでしょうか?

 

僕は、とてもする方です。

 

相手と目があったりなどして、相手の人が話しかけてもよいとわかった場合にやっと挨拶や話しかけたりしますが、、、

 

もし、そうではない場合

 

相手が目をそらしていたり

 

無表情だったり

 

と、こちらが判断した場合には、相手から話しかけられるのを待っているタイプです。

 

だから、僕はよく他人から

 

人見知りだ

 

ポーカーフェイスだ

 

と言われてしまいます。

 

2.知り合いになるとき

僕は人見知りと言われるのですが、本当はそんな風にしたくないのに、なぜそのようにしてしまうのでしょうか?

 

それは、ある意味自分を守っているのかもしれません。

 

何を守っているのか。

 

話しかけて、

 

相手を不愉快に思わせてしまうかもしれない。

 

自分の容姿など、相手から何かしら評価をされてしまうのかもしれない。

そんなことを守っているのだと思います。

 

でも、それは同時に失っていることもあります。

 

それは、相手と何かしらの知り合い、つまりご縁があるかもしれないという可能性です。

 

恋人かもしれない

 

大親友かもしれない

 

ビジネスパートナーかもしれない

 

お客さんかもしれない

 

逆に自分が守っているものを手放して、たとえ相手の雰囲気がどうであろうとも気前よく話しかけてみることで、ご縁の可能性が出てきます。

 

そして、相手に話しかけるときに、

 

自分のことをなるべくオープンにする

 

自己表現豊かになる

 

これがとても大事だと最近感じています。

 

そうすることで、一見無表情に見える相手の人も心を開いてくれるかもしれません。

 

逆に、自分のことをオープンにしなければ、相手の人は無表情のままかもしれません。

 

でも、それは気前よく話しかけてみなければわかりません。

 

3.フェイスブックでの友達について

僕はフェイスブックをやっていますが、今まであまり自分から友達申請はしませんでした。

 

友達申請するとすれば、相手と必ず会ってから。

 

それも、相手の人から友達申請を頂くことが多いです。

 

つまり、人と繋がることに関して受け身だったということですね。

 

フェイスブックでの友達申請について、

 

必ず会ってから申請する

 

一言メッセージを送ってから、申請する

 

この人と繋がりたいと思ったら、とりあえず申請をする

 

どの方法が相手にとって失礼がないのか、それは人それぞれかもしれません。

 

しかし、心のどっかで僕は

 

人とつながって良いのだろうか。

 

僕なんて大した人物ではないけど、友達申請してよいのだろうか。

 

こんなことを考えていました。

 

しかし、それも自分の単なる思い込みだったことに最近気付きました。

 

やってみなければわからない。

 

その小さな一つの行動の積み重ねが何れ大きな違いを作るかもしれない。

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そう思って、これからの僕は人と繋がることを喜びに変えていきます。

 

人と繋がることを恐れて自分を守ることが『悲劇』であれば、

人と積極的につながって、ご縁を生かし、感謝することが『喜劇』

 

自己表現豊かにし色んな人と繋がろう。

 

今日も最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

壁に直面したとき

皆さん、こんにちは。『悲劇を喜劇に変えるブログ』の管理人シマダマサヒロです。

今日も、記事を発信していきますよー。

よろしくお願い致します。

 

1.壁が訪れたとき

突然ですが、皆さんは今までで壁にぶち当たったことはありませんでしたか?

 

そして、その壁が訪れたとき、それを乗り越えてきたでしょうか?

 

それとも、途中で投げ出して逃げ出してしまったでしょうか?

 

僕は、どちらかというと途中で逃げ出してしまうタイプでした。

 

それはなぜなのか?

 

弱い自分を見せたくなかったから、、、、、。

 

責任を取りたくなかったから、、、、、。

 

でも、壁から逃げ出すことで何とか生きてきたのも事実です。

 

だからどうしても楽な方法を選んでしまうのでしょう。

 

そして、それを正当化してしまいます。

 

2.壁は何度も訪れてくる

壁から逃げ出すことで、そのときは何とか生き延びることができます。

 

しかし、また不思議と同じ壁に直面するんですね。

 

また、壁から逃げたと思ったら、、、、

 

また、同じ壁に直面する。

 

キリがないですよね。

 

僕は、小学校の時、少林寺をやっていました。

 

少林寺では緑帯までいったのですが、、、

 

他の人より、下手くそで、先生に怒られたりして、途中で辞めてしまいました。

 

それ以来、先生に怒られるというのがトラウマになってしまいました。

 

怒られている=否定されている

 

というコンテクストになっていたのです。

 

同じことが高校生のときにも起きました。

 

最初は、中学の延長でハンドボール部に入っていましたが、ここでも顧問の先生に怒られることが多く、自分は否定されているのだと、自暴自棄になりわずか3ヶ月で辞めてしまいました。

 

その後、社会人になっても、同じことが起きては逃げるの繰り返しでした。

 

そして、今私は、同じ壁に直面しています。

 

でもこうやって書いていて整理してみると、過去とは明らかに違う自分が見えています。

 

それは、『同じ壁に直面している』と気づいていること

 

3.壁を突破してみる

壁が見えてきたら、それから逃げるのではなく、

 

『壁』があるなと気づいて

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そして、それをただ『壁』だと区別して、そのまま進んでみる。

 

上記の例でいったら

 

「怒られているの=否定されている」のは事実ではなく、

 

自分自身の作ったストーリーである。

 

「怒られている」それだけである。

 

それに反応する必要はありません。

 

壁を突破したとき、壁は出てこなくなります。

 

なぜなら、突破したら、今まで『壁』と思っていたものは、『壁』でなくなるから。

 

壁から逃げてしまい、同じ壁が繰り返し出てきてしまうことが『悲劇』であれば、

壁を突破し、それを壁だと感じなくなることが『喜劇』

 

『壁』だと、ただ区別して、突破し、新しい自分を創り出してみよう。

 

今日も最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

シェアしてみよう

皆さん、こんにちは。『悲劇を喜劇に変えるブログ』の管理人シマダマサヒロです。

今日も、記事を発信していきますよー。

よろしくお願い致します。

 

⒈『シェア』という言葉

皆さんは、最近『シェア』という言葉をよく聞くのではないでしょうか?

 

特に、ファイスブックを使われる方などは、友達やブログ、ネットの記事を「シェアしました」という言葉を目にするのではないかと思います。

 

『シェア』とはどんな意味でしょか?

 

シェア(share)をそのまま和訳すると、

①分けること、分配、分担

②共同でもつこと、共有

になります。

 

「シェアハウス」なんかは、共同で住む家ということで、とてもわかりやすい言葉ですよね。

 

フェイスブックでの「シェアしました」は、情報を共有するといった意味で使うと思います。

 

2.シェアすることの意味

シェアすることの意味とは何なのでしょうか?

 

僕は、以前は、シェアに対してものすごく抵抗がありました。

 

自分が持っている情報を他人に知られたくない。

 

こんなことを言うのは恥ずかしい。

 

こんなことを言うのはみっともない。

 

もし、言ったりしたら、批判されてしまう。

 

だから余計なことを言わないようにしよう。

 

つまり、自分を隠していました。自己表現していませんでした。

 

でも、それは同時に大きなことを失っていたことに気がつきました。

 

それは、他の人と分かち合う可能性。

 

自分のことをシェアしなかったら、

他の人にとって自分はどんな人なのかわかりません。

 

だから、僕は自分のことをあまり人にシェアしなかったため

 

「嶋田さんは、ちょっとわかりにくい。ポーカーフェイスだ。」

 

とよく言われていました。

 

正直な話、僕は友達がそれほど多くいませんでした。

 

自己表現していない理由としては、

 

自分なんて、、、、、

 

つまり自己承認できていなかったのかもしれません。

 

でも、一昨年、去年と色んな方からコーチを受けて、

 

自己表現すること、そしてシェアすることが自分にとって必要であり、

 

今の状態でそれをやってもいいんだ

 

それを掴みました。

 

シェアすること、、、、、

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それは、『自分をオープンにし、他人や未来との繋がりの可能性を開く事』

 

僕は、そう感じています。

 

3.シェアは何でもいい

僕は、自分のことをシェアする手段として、フェイスブックや、ブログを活用しています。

 

正直な話、投稿している内容は、決して、誰もが知らない特別な情報でもなく、小学生でも書ける内容だと思っています。

 

僕は、理学療法士という資格を持っており、その仕事に携わっていますが、

知識や技術に関して僕しか持っていない情報っておそらくほぼないに等しいと思います。

 

でも、少なくとも投稿することで、自分を色んな人に知っていただくことができます。

 

そして、そこから興味を持ってくれた人と繋がる可能性もあるかもしれません。

 

自分にしかないもの、、、、

 

それは、自分という人柄なのかもしれません。

 

自己表現をせず、繋がりの可能性を失ってしまうことが『悲劇』であれば、

シェアを積極的に行い、繋がりの可能性を広げていくことが『喜劇』

 

手放して、積極的にシェアしていこう。

 

今日も最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

 

理由を越えて決断しよう

皆さん、こんにちは。『悲劇を喜劇に変えるブログ』の管理人シマダマサヒロです。

今日も、記事を発信していきますよー。

よろしくお願い致します。

 

1.何かを決断するとき

皆さんは、人生において、何か大きな決断をすることってありますよね?

 

例えば、

 

結婚するとき

 

引っ越しするとき

 

転職するとき

 

起業するとき

 

など、大きな決断がいることってあると思います。

 

では、決断するときって、何か理由があったりするでしょうか?

 

あるいは、何か周りの環境に影響されたりすることもあるでしょうか?

 

2.僕が転職を決断したとき

僕は去年転職(職場を変わる)という決断をしました。

 

そして、1月16日から職場が変わります。

 

でも、私はそれまで幾つもの大きな山場を乗り越えてきました。

 

その一つとして、今の職場で私が抜けた場合、次の内定者がいない状況がありました。

 

つまり、一人欠員状態で業務を行わなければなりませんでした。

 

もし、職員が誰も入ってこなかったら、転職の時期をずらさなければならないという危機まで陥っていました。

 

でも、僕は、コミット(約束)を変えませんでした。

 

『1月16日から職場を変わる』

 

そのために、

 

求人募集に関して、よい方法はないか上司に提案したり、

 

部署で連携を図るために、話し合いの場を作ったり、

 

他部署の管理者に事前のオリエンテーションを行ったり、

 

など、行いました。

 

だから、何とかコミット(約束)通りに転職の時期を迎えることができそうです。

 

そして、最近ではスタッフが僕の転職を応援してくださるようになり、大変感謝しています。

 

3.理由を超えて決断してみよう

何か決断するとき、必ずしも何か、阻害因子(壁)みたいなものが出てきます。

 

でも、本当に自分が何かしたいこと、そして何かしようとしていることがあるとき

 

その阻害因子の影響で、それができないとなったら、

 

それは、非常に勿体ないことです。

 

その阻害因子を超えてやってみる

 

やるとコミット(約束)し、それに向かって行動してみる。

 

そうすることで、やれる方法が見つかってくるし

 

現実そうなっていくと感じています。

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理由によってできないと諦め決断してしまうことが『悲劇』であれば

理由を超えて決断し、前に向かって行動していくことが『喜劇』

 

理由はあるけれど、それでも『やります』と宣言してやってみよう。

 

今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

幸せな一年間にしよう

皆さん、こんにちは。『悲劇を喜劇に変えるブログ』の管理人シマダマサヒロです。

今日も、記事を発信していきますよー。

よろしくお願い致します。

 

⒈今年一年のことについて

お正月も今日で終わりですね。皆さんは、どのようなお正月をお過ごしでしたか?

 

僕は、地元である福岡県大牟田市に帰って、三社参り、両親との会話、地元の職場へ訪問、一人で地元の道をドライブなど楽しんできました。

 

そんなお正月も今日で終わりですね。明日から仕事という方も多いことでしょう。

 

今年はどんな一年にしようか?

 

そんなことを考えている人・決めている人も多いのではないかと思います。

 

因みに僕はこんな一年にします。

 

それは、、、

 

『自分にとっての幸せを明確にする。』

 

です。

 

ちょっと壮大なテーマなのかもしれません。

 

2.幸せについて

幸せの定義ってなんだろう?

 

僕は、つい最近まで、こんなことが幸せだと感じていました。

 

テレビやYou tube動画、フェイスブックの投稿などで幸せそうにしている人

 

高級なレストランで食事をしている人

 

高級住宅に住んでいる人

 

お金をたくさん持っていて社交的に遊んでいる人

 

経営者になって儲かっていて、部下に仕事を任せていて、自由な時間があるように見える人

 

学歴が高い人

 

知名度が高い人

 

栄誉のある仕事に就いている人

 

容姿端麗な人

 

僕は、今まで、これらの幸せばかりを追い求めて生きてきました。

 

だって、不幸になりたくなかったから。

 

でも、これらを追い求めて行動していると、なぜかその過程において、不幸と思ってしまいます。

 

なぜかというと、

 

「自分はこれらになっていない=不幸である」

 

という立場に立っていたからです。

 

これらは全て、他人と比較した結果の優劣で「幸せ」と感じているだけだと。

 

つまり、幸せを外に求めているということに気がつきました。

 

では、本当の幸せの答えは?

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それは、自分の中にあるということに気がつきました。

 

3.幸せという自分になる

今回の年末、年始に実家に帰省し、久しぶりに家族(両親、弟)と過ごしました。

 

その時、とても幸せだと感じました。

 

やはり、実家にいて、お酒をかわしながら、美味しいものを食べて、家族と会話する。

 

これは、最高に幸せなことです。

 

でも、3年前は、なぜかそんな風に感じませんでした。

 

僕は、これを周りの環境のせいにしていました。

別に、3年前と今と比較し、世帯収入や、家などが変わったわけでもありません。

 

僕や兄弟が結婚したわけでもありません。

 

では、何が変わったのか?

 

『僕の見方』が変わったのだと思いました。

 

つまり、幸せの答えは自分の中にあるということです。

 

自分が与えられた環境の中で、何が自分にとって幸せなのか?

 

そのために、たった今から『幸せな人である』というステージに立って日々を行動していく。

 

これが2017年のテーマです。

 

幸せを周りに求めて不幸な自分でいることが『悲劇』であれば、

内なる幸せを見つけ、幸せな自分でいることが『喜劇』

 

自分の内なる幸せを見つけていこう。

 

今年も、一年よろしくお願い致します。

 

因みに『悲劇を喜劇に変えるブログ』は、今年一年間100記事更新を目指していきます。

 

今日も最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

経験値を高めよう

皆さん、こんにちは。『悲劇を喜劇に変えるブログ』の管理人シマダマサヒロです。

今日も、記事を発信していきますよー。

よろしくお願い致します。

 

1.今年一年を振り返って

もうすぐ、今年も終わりですね。皆さんは今年一年どんなことがありましたか?

 

僕は、今年は振り返ってみるといろんなことがありました。

 

フルマラソン3回完走した。

 

1年で職場を変わる決断をした。

 

職場で色んなドラマがあった。

 

槍ヶ岳に登頂した。

 

仕事関係の研修会に多く参加した。

 

恋愛した。

 

自己を高めるために、高いお金を出してセミナーに行きまくった。

 

自分のブログを開設した。

 

新たな人達との出会い、別れがあった。

 

他にもたくさんありましたが、主にはこんな感じです。

 

2.出来事に対して

 

いろんな出来事に対して、、、、、、

 

それは、嬉しくもあれば、悲しくもあります。

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でも、それらに共通することがあります。

 

それは、、、、、

 

『経験する』ということです。

 

僕は、今お世話になっているコーチから、こんな言葉をかけられたことがあります。

 

「人生は嬉しいことだけではない、嫌なことや、悲しかったこともある。むしろそんなことが多いのかもしれない。しかし、それは後で考えれば、話のネタとなるんだよね。」

 

経験値、、、

 

それは、話のネタとなるのです。

 

僕は、ある尊敬している経営者からこんなことを言われました。

 

「若い時は、お金よりも経験だ。」

 

経験、話のネタこそが、大きな価値であり、大きな財産となります。

 

 

3.チャレンジこそ経験を生む

 

経験値を高めるためには、、、

 

何かを決めてチャレンジすること。

 

チャレンジして、挫折してもいい。

 

途中で、やめてしまってもいい。

 

でも、あまり考えないで、とりあえずやってみること。

 

失敗してもそこに経験が生まれる。

 

10個何かにチャレンジして、1つでも達成したり、最後までやり遂げれたら、それは0からの大きな一歩かもしれません。

 

フルマラソンを3回完走すると決めて、最後までやり遂げれたことは、僕にとって大きな一歩でした。

 

経験すること、それは人間力を高めることにもつながる。

 

そう思って来年もチャレンジしていきます。

 

一年振り返って、経験値、話のネタが少ないことが「悲劇」であれば、

嬉しいこと、悲しいことがあり、話のネタが多いことが「喜劇」である。

 

来年も多くの経験を積んで、話のネタを作り、自分の財産にしていこう。

 

本日も最後まで読んで頂きありがとうございました。