悲劇を喜劇にかえるブログ

「心と体の健康」について医療・介護での仕事、ビジネス、自身の心と体のデトックスの経験などから情報発信していきます。

発している言葉を大切にしよう

皆さん、こんにちは。『悲劇を喜劇に変えるブログ』の管理人シマダマサヒロです。

今日も、記事を発信していきますよー。

よろしくお願い致します。

 

1.自分が発している言葉に対して

皆様は、自分が普段会話している時、つい発している言葉に気付いていますか?

そして、それに対して責任を持っていますか?

 

僕は、正直自分がつい発している言葉に対して責任を持っていませんでした。

 

例えば、

 

「・・・・・って、言ったらおかしんだけど。」

 

「・・・・・これを、言ったらやばいかな。」

 

「・・・・・自分にできるかな。」

 

「んー、っちょっと、しんどいなあ。」

 

「・・・・それは、多分難しいと思う。」

 

など、

 

僕もつい、このような言葉を発してしまいます。

 

このような言葉って、言ってみたらわかると思うのですが、

 

パワーがない

 

可能性がない

 

生き生きしていない

 

楽しくない

 

そんなイメージを持ってしまいます。

 

2.周りの人が普段発している言葉に対して

 

では、普段あなたの周りの人は、会話の中で普段どのような言葉を発しているでしょうか?

 

もし、上記のような言葉を発しているとしたら、あなたはどう感じてしまいますか?

 

パワーが落ちてしまう。

 

可能性がなくなってしまう。

 

生き生きさがなくなってしまう。

 

楽しくなくなる。

 

こう感じてしまうのではないでしょうか?

 

僕もそう感じてしまいます。

 

そして、周りに影響されて、自分もいつの間にか同じ言葉を発しています。

 

僕は、小学生のときに、当時身長が高かかったので、そのことを周りに自信をもって言っていました。

 

そのとき、同級生から

 

「それ自慢?そんなこと言うやつサイテー。」

 

僕は、そのとき大きなショックを受けてしまいました。

 

周りに自慢してはいけないんだ。

 

自分を素直に表現したら、嫌われてしまうんだ。

 

だから、周りに合わせるために、控えめに言っちゃおう。

 

そう決めました。

 

そして、そのような態度で振舞っているうちに、いつの間にか皮肉と諦めの自分になっていました。

 

だから、周りに集まってくる人等もいつの間にか同じ言葉を発していました。

 

3.自分が普段発している言葉を書き換えてみる

僕は、自分を素直に表現しなくなったのは、小学生からだと気付いたとき

 

相手の言った「自慢する奴はサイテー」は、その人の作り出した物語(ストーリー)であり真実ではないと解釈し、それを、消しゴムを消すかのようにゼロにする。

 

そして、新しい言葉に書き換える。

 

そうすると、自分は自慢してもいい、素直に自己表現してもいい。

 

といった自分に立つことができました。

 

そう、自分の良かったこと、長所は、素直に表現する。

 

そして、普段から可能性のある満ち溢れた言葉で表現する。

 

「やってみよう。」

 

「言ってみよう。」

 

「できるんだ。」

 

そうすると、いつの間にか皮肉と諦めを言っている人たちが周りからいなくなってしまいます。

 

だとすれば、可能性にコミットした人たちが集まってくる。

 

皮肉と諦めの言葉を言って、その通りの人生を送ってしまうことが「悲劇」であれば、

可能性の言葉を発し続けて、楽しく人生を生きることが「喜劇」

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自分が発している言葉に責任を持ち、周りに良い影響を与えていこう。

 

今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

可能性にフォーカスしてみよう

皆さん、こんにちは。『悲劇を喜劇に変えるブログ』の管理人シマダマサヒロです。

今日も、記事を発信していきますよー。

よろしくお願い致します。

 

⒈不可能だと思ってしまうこと

皆さんは、不可能を口に出してしまうことってないでしょうか。

 

僕も正直あります。

 

つい口癖で、

 

「ちょっと厳しいな、、、、」

 

「無理っぽいなあ、、、」

 

あるいは、他の誰かが何か提案をしたときに、

 

「でも、、、、」

 

「それは、ちょっと、、、、」

 

「そうは言っても、、、、、」

 

こんな言葉を使ってしまいます。

 

100%を考えるが故に、リスクを恐れるが故に、ついそんなことを思い言葉に発してしまいます。

2.女性に告白した時の出来事

僕は、以前、合コンで知り合った女性で気に入った人がいたので、思い切って食事に誘ってみました。

 

そして、予約したフランス料理の店で、非常に盛り上がったので、

 

「これは絶対に告白したら彼女にできるかもしれない。」

 

と思いました。

 

でも、そこに不安もありました。

 

「もし、だめだったらどうしよう。やっぱり無理じゃないかな。」

 

そんな独り言を発していました。

 

今でもそうですが、僕は恋愛に対して非常に奥手なタイプです。

 

特に、このときの僕はどのタイミングで「付き合ってください。」と言っていいのかよくわかりませんでした。

 

だから、このタイミングではないかもしれない。

 

でも、それは告白してみないとわからない。

 

そこで、僕は帰り道で思い切って告白してみました。

 

結果は、、、、、

 

「何よ、いきなりー!! もうちょっと、デートしてからにしてよ。」

 

オッケーをもらうことができませんでした。

 

それどころか、大きな恥をかきました。

 

3.行動することで可能性が開けてくる

 

このとき、告白に失敗してしまった僕ですが、

 

一方で、大きな収穫を得ました。

 

付き合うためには、デートを積み重ねることが必要なんだな。

 

もし、あのとき、思い切って告白していなかったら、このことはわからなかったでしょう。

 

それどころかタイミングを逃して、告白できずに終わってしまっていたのかもしれません。

 

分かりやすく整理すると、

 

一度女性に告白してみないと、女性と付き合える可能性が開けてこないということなのです。

 

フラれるかもしれないと不可能にばかりフォーカスしてしまい何も行動しなかったら、

 

一生好きな女性と付き合えないということです。

 

これは、仕事にも言えることかもしれません。

 

会社全体や部門がいろんな問題に直面したときに、今までのやり方を変えなければならないことがあるとします。

 

そんなときに、様々な提案に対して「それは難しい」と不可能ばかりにフォーカスしていては、そこから何も生まれません。

 

ちょっとでも可能性があるアイデアがあれば、それを少しずつでもいいからそれに向かって行動していく。

 

そうすることで可能性の扉が開けてきます。

 

それは、今までの自分にはない新しい可能性かもしれませんね。

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否定の言葉ばかりを発して、不可能に目を向けてしまうことが「悲劇」であれば

少しずつでも前に行動し、可能性の扉を開いていけることが「喜劇」

 

いかなる状況でも可能性にフォーカスして生きていこう。

 

本日も最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

執着を手放そう

 

皆さん、こんばんは。

『悲劇を喜劇にかえるブログ』管理人のシマダマサヒロです。

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宜しくお願い致します。

 

1.執着しているとき

皆さんは、何か一つのことに囚われていて、執着していることってありますか?

僕は、よくあります。

 

例えば、

 

通勤のとき、バスの定期を忘れて「しまったー。」と落ち込んでいるとき

 

気になる女の子を食事に誘いたいけど、なかなか声をかけられないとき

 

大事なプレゼンを目の前にして、緊張し、日常業務に集中できないとき

 

何かトラブルがあって落ち込んでしまったとき

 

何か一つのことに囚われて、時間が経ってしまうときがあります。

 

2.知り合いとの登山での出来事

僕は、先日日頃から大変お世話になっている先輩と兵庫県にある六甲山に登りました。

 

当日は、物凄い雨で、登山道具はほぼ全て濡れていました。

 

リュックの中にある着替えはビニール袋で包んでいたので、濡れていないだろうと思っていたのですが、どうもリュックの隙間から雨水が入ったみたいで、着替えもシャツの袖の部分が濡れていました。

 

登山後に温泉に入り、脱衣室にて、濡れた着替えの袖の部分をドライヤーで乾かそうとしました。僕の知り合いの友人は、「ゆっくり乾かしておいで」と言ってくれたのですが、濡れた部分を乾かすだけで5分以上かかってしまいました。

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濡れた袖を乾かすのに時間をかける。これは、「濡れた袖に対する執着」だなと思いました。

 

⒊執着を手放すこと

何かに執着している。

 

それは、同時に何かを失っているのではないか。

 

上記の「濡れた袖に執着する」ことで言えば、

 

5分という貴重な時間を失っている。

 

相手を待たせてしまい、信頼関係を失っている。

 

その次への行動力(パワー)を失っている。

 

袖が濡れてしまうこと、それは確かに小さな不幸であります。しかし、それに囚われてしまうと、温泉の後の折角の乾杯や食事、先輩との会話が楽しめなくなります。

 

それは非常に勿体ないことですね。

 

この登山の例は、ほんの小さな出来事ですが、

 

人生において何か大きな出来事が起きた時、

 

その出来事に執着してしまい、代償として大きな可能性を失ってしまうこともあるかもしれません。

 

確かに出来事によっては、執着せざるを得ないかもしれません。

 

しかし、もしもそれを手放すことができたら

 

今まで見えなかった可能性を創造できるかもしれません。

 

因みに私は今そのトレーニングの真っ最中です(^ ^)

 

何かに囚われ、執着することが「悲劇」であれば

執着を手放し大きな可能性を創造することが「喜劇」

 

執着を空っぽにして大きく飛躍していこう。

 

今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分にできることがまだまだある

皆さん、こんにちは。『悲劇を喜劇に変えるブログ』の管理人シマダマサヒロです。

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よろしくお願い致します。

 

1.周りに不満を言っているとき

周りに不満を言っていることってないでしょうか?

 

例えば、

 

仕事で自分はこんなに一生懸命働いているのに、周りは動いてくれない。

 

あの人がいるから、私は堂々と仕事できない。

 

など。具体的にあると思います。

 

つまり、

 

人の目が気になる。

 

この職場、住んでいる場所が悪い。

 

時間がない。

 

周りの環境や人、時間のせいにしてしまうことってあるのではないかと思います。

 

僕も、つい

 

「◯◯をやりたいんだけど、時間がない。」

 

なんて言ってしまいます。

 

2.職場での出来事

僕は、前回の記事にて、今働いている介護老人保健施設で、人が不足しているという話をさせていただきました。

 

人が足りないと、よく

 

「人がいないから、仕事が回らない。」

 

「人がいないから、毎日帰りが遅くなる。」

 

「人がいないから、利用者様を満足させてあげれない。」

 

という事を言いたくなります。

 

ひどくなると、

 

「人が来ないのは、会社(施設)の幹部の責任だ。」

 

なんてことを言ってしまいます。

 

僕は、なかなか人が集まらないことに関して、理学療法士の先輩にアドバイスをいただこうと思って聞いてみました。

 

すると、先輩の言った一言は、

 

「シマダさんが、できることってまだまだあるんじゃないですか?」

 

この一言で僕はすっかり目が覚めてしまいました。

 

3.やれることがまだある

周りに対して不満を言っているときって、大邸の場合、自分がやれることまだまだあるんですね。

 

上記の人材不足に関して言えば、

 

自分の知り合いに声を掛けてみる。

 

無料で求人広告を掲載できるWebサイトを調べて、人事部長に提案してみる。

 

自分のFBのタイムラインやブログにに求人募集の記事を載せてみる。

 

など。

 

周りに不満を言っているとき、

 

それは、周りばかりを見てしまっていて、自分が見えていない証拠。

 

例え現実的に自分以外のところに原因があったとしても、

 

自分に原因があるという立場に立ってみる。

 

そうすると、自分にやれることが見えてくると思うのです。

 

自分にやれることが見つかって行動した時、

初めて周りを動かることができるでしょう。

 

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周りが動くことばかり期待し、何も行動しないことが『悲劇』であれば

自分ができることを見つけ、行動し、周囲を巻き込めれることが『喜劇』

 

自分にできることがまだまだあるんだと思って行動してみよう。

 

今日も最後まで読んでいただきありがとうござました。

 

ピンチを楽しむ

皆さん、こんにちは。『悲劇を喜劇に変えるブログ』の管理人シマダマサヒロです。

今日も、記事を発信していきますよー。

よろしくお願い致します。

 

1.ピンチが訪れたとき

皆さんは、どうしようもないピンチの時ってありますよね。

 

ピンチが訪れたときってどうするでしょうか?

 

「どうしよう~(´Д` )。」と思ってしまう反面、

 

「何とかしなきゃー( *`ω´)」と考えると思います。

 

しかし、僕はピンチが訪れたとき、逆にワクワクすることがあるのです。

 

これを乗り越えたら、きっと大きな達成感が得られるし、周囲の方にも貢献できて、大きな喜びを与えられる。

 

そんな風に考えてしまいます。

 

2.仕事場でのピンチ

僕は、普段、介護老人保健施設老健)で仕事をしているのですが、介護施設は基本的に人材不足と言われています。

 

その中でも、通所リハビリテーションでの送迎サービスにおいて、とくにハイースなど大きな車を運転できる人が少ないです。これは以前僕が勤めていた同じ老健でも、その問題に直面していました。

 

その影響があってか、僕は最近、ハイエースの運転を任されるようになりました。運転は今まで一度もやったこともなかったし、しかも地元ではないので、道もそこまで詳しくない状況です。

 

でも、こういった人材不足のとき、

 

「なんで僕がやらないといけないのー。」

 

と思うのではなく、

 

「これをやることで、職場に貢献することができるんだー。」

 

と思って、ワクワクしながら行動すると、

 

いつもよりも、通所リハビリの介護スタッフや管理職の方に感謝されることが多いです。

 

実際に、運転を引き受けることによって得られた成果は、

 

介護職スタッフとコミュニケーションが取りやすくなった。

 

介護職スタッフにリハビリテーションの業務のことを相談しても、引き受けてくれるようになった。

 

など、チームが以前よりも一つのベクトルに向かって連携して動いているように感じます。

 

その他、約⒊年ほど前に、地元の老健施設に勤務していた時、リハビリテーションスタッフが一人欠員だった状況で、どうにかしようと仕事を一緒にやっていた方々とは、今でも仲良く連絡を取り合っていることが多いです。

 

⒊.ピンチを楽しむ

これは、僕の想像ですが、ピンチの後は、大きな喜びが待っていると感じます。

 

まさに、ピンチは終わりではなく、

 

ピンチとチャンス捉える

 

また、ピンチを苦しい・しんどいと思わずに、

 

ピンチを楽しむ

 

以前、僕は槍ヶ岳という3000m以上ある山に登ったとき

 

頂上近くにある山荘にたどり着く直前がものすごくしんどかったのですが、

そのとき一緒に登っていた方にこう言われました。

 

「しんどいときに『しんどい』とうのは簡単、しんどいときに『楽しい』と言えることが大事だね。」と。

 

登山は、しんどいのを楽しんでいるといつの間にか頂上に辿り着いている。

 

日常生活でもピンチを楽しんでいると、いつの間にかピンチを脱している。

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そんな風に捉えると良いのかもしれません。

 

ピンチを悲観して前に進めないことが『悲劇』であれば、

ピンチを楽しんでいつの間にか辿り着いていることが『喜劇』

 

ピンチを楽しんで喜びを倍増させよう。

 

今日も最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

当たり前ということ

皆さん、こんばんは。『悲劇を喜劇に変えるブログ』の管理人シマダマサヒロです。

今日も、記事を発信していきますよー。

よろしくお願い致します。

 

⒈感謝をしていないとき

人に何かをしてもらったとき、「ありがとう。」という言葉を発すると思います。

 

ただ、それを言わないときってないでしょうか?

 

例えば、職場で、仕事を割り振る際に、他の人がしてくれて、それを自分のところに報告に来てくれたとき

 

「ありがとうございます。」

 

ではなく、

 

「わかりました。」

 

「了解しました。」

 

「そうですか。」

 

で終わってしまう。

 

僕は、正直あります。

 

別に、それは意図的にそうではなく、ついそうしてしまうといった感じです。

 

振り返ってみると、なんであのとき「ありがとうござます。」と言えなかったんでだろうと、思ってしまいます。

 

2.感謝の反対は当たり前

なぜ、「ありがとうございます。」と無意識に言えなかったのか?

 

それが、自分の中で腑に落ちた時がありました。

 

3ヶ月前に、友人と食事をしていたときのことです。

 

友人「嶋田さん。感謝の反対って知っていますか?」

 

僕「いや、知らないです。」

 

友人「それは『当たり前』なんですよ。」

 

これを言われたとき、僕は無意識的に「ありがとう。」と言えなかったのは、「当たり前」と心の何処かで思っていたのだなと、分かりました。

 

確かに、いつもお母さんに3度のご飯を作ってもらっているとそれが当たり前になってしまう。

 

だから、そこには、感謝の言葉がいつの間にかなくなってしまう。

 

「いただきます。」や「お御馳走様。」、「美味しかった」の言葉もなく、

下手すると「なんで、僕のきらいな◯◯を入れてんの?」と文句を言ってしまう。

 

僕からすると、ご飯を作ってくれること

 

は「当たり前」かもしれない。

 

ただ、お母さんからすると、忙しい中、時間をかけて一生懸命作ってくれた、ご飯なのです。

 

3.当たり前のことに感謝しよう

僕は、京都に来て、一人暮らしをしていますが、毎日の自炊は大変です。

 

時間の都合上、外食しなければならないこともあります。

 

そんなとき、たまに福岡の実家に帰ると、お母さんの手料理がとても美味しく感じます。

 

当たり前というのは存在するかもしれない。

 

しかし、それに時には感謝することも必要ですね。

 

感謝の反対は当たり前かもしれないけど、

 

「当たり前=感謝」とする。

 

そうすることで、毎日の生活の見方が変わると思います。

 

僕はこれを現在進行中ですが、見方を変えることで、本当に人生楽しくなっているなと実感しています。

 

毎日を当たり前と思い、感謝がなくなってしまう生活を送ることが「悲劇」であれば、

当たり前に感謝することで、楽しく生活することが「喜劇」

 

毎日、当たり前のことに感謝して生きていこう。

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本日も最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

待たされていると思ったときの解釈

皆さん、こんにちは。『悲劇を喜劇に変えるブログ』の管理人シマダマサヒロです。

今日も、記事を発信していきますよー。

よろしくお願い致します。

 

1.待たされているとき

日常生活の中で、待たされていることに対して「イライラしたりする」ことってないでしょうか?

 

僕は結構あるんですね。

 

約束の時間に相手が遅れてきて、待たされているとき

 

病院の診察が長くて待たされているとき

 

電車の時間が遅れてホームで待たされているとき

 

待たされているとき、

 

早く来いよー。

 

早く俺の診察回って来いよ。

 

早く電車来いよ。

 

いつまで、待たせるのか。待ち時間を教えてくれー。

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そんな気持ちになってしまいます。

 

時間というのが、誰にでも与えられた貴重な資源とわかっているだけに、余計に落ち着かなくなってしまいます。

 

2.整骨院での出来事

僕は、月1~2回ペースで整骨院に通っているのですが、その整骨院は、県外からも訪れる人気の整骨院で、行くとだいたい1~2時間くらいかかってしまいます。整骨を受ける前に、手や機械を使ってケアを行っていくのですが、前の人がそれを受けていると、じっと座って待っていることも多いです。

 

僕はそれに対して、毎回、時計を見ながら「夕方遅いんだから、早く回って来いよ。」と思ってイライラしていました。

 

先日も、その整骨院に行ってきました。

 

いつものように待たされていたのですが、その時はあまりイライラしませんでした。

 

その時、僕は何を考えていたのか?

 

僕が待っているということは、他の人が施術を行っている時間を与えている。

つまり、僕は他人に貢献しているということだ。

 

3.貢献しているということ

待たされいることは、他人に貢献していることである。

 

それは、ちょっとお人好し過ぎではないですか?

 

確かに、そうかもしれません。

 

全てにおいて、それが当てはまるとは限らないかもしれないです。

 

ただ、待たされているとき、イライラしていてもどうしようもない。

 

相手だったり、環境だったり、状況だったり、

 

これらを変えようと思っても、変えられない。

 

そんなこと、あると思うのです。

 

そんなとき、

 

待たされている=他人に貢献している

 

これを頭に入れておくだけで、かなり落ち着くし、待っている間に、他に頭の中で何か考えたりすることもできると思うのです。

 

実際、整骨院で待たされていた時、僕はこのことを頭に入れておいたので、手帳を持って、明日の仕事のことや、今後の予定の整理をすることができました。

 

これ、もし僕がイライラしていたら、そんなこと考える余裕がなかったと思います。

 

逆に僕が他人を待たせることもあります。

 

そんなときは、その人が僕に時間を与えてくれている。

 

そのことに感謝ですね。

 

待たされているとき、自分のことだけを考えてイライラすることが「悲劇」であれば、

貢献していると解釈し、頭の中をすっきりできることが「喜劇」

 

生きていく上で、人に感謝し、貢献していこう。

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本日も最後まで読んで頂きありがとうございました。